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100days100bookcovers no81(81日目)
フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」(高杉一郎訳・岩波書店) ステイホームの中での楽しめる暇つぶし、ということで始まったブックリレーですが、ふと気づいたら81回目、足かけ3年になりました。最近は映画ばかりであまり本を読まなくなっているのですが、このリレーで紹介されて興味を持った本を読んだり、書くために再読したりすることで、いろいろな出会いや発見がありました。 前回YAMAMOTOさんが紹介して下さった宮本常一の『辺境を歩いた人々』も、とても面白く読みました。もともと「辺境」に興味があったので、「辺境に興味を持って歩く人」に対しても大いなる興味や共感が生まれました。本書の中で紹介されていた松浦武四郎という人が、江戸時代末期に北海道からその北方の国後方面までを歩いたという項を読んで、北方領土の現在の姿を知りたくなったところ、ちょうど渋谷で『クナシリ』というドキュメンタリー映画がかかっていたので、それも観に行きました。この映画については別に書こうかと思っていますが、旧ソ連出身のフランス人監督の目から見たクナシリの現状が描かれていて、なかなか興味深い映画でした。 さて、次の本は、「冒険」というキーワードで繋ぎたいと思います。 『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス作、高杉一郎訳、岩波書店)。 この本を初めて読んだのは小学校5年生のときです。奥付は1967年。初版です。盲腸で1週間ほど入院したとき、ご近所のお宅のおばさん(たぶんまだ30歳前後だったと思いますが、結婚してお子さんもおられたのでおねえさんとは言いがたく、私から見たらおばさんでした)が、お見舞いに持って来て下さいました。今になってみると、よくぞ、と思います。なぜなら、自分の嗜好をはっきりと自覚させてくれ、それ以後の読書人生を左右するほど影響を受けた作品になったからです。この本は、今に至るまでずっと手元に持ち続けています。 作者のフィリパ・ピアスは1920年生まれ。イギリスのケンブリッジ近郊で生まれ育った児童文学作家です。この物語は私が生まれた年、1958年に書かれています。 主人公のトムは、弟のピーターが麻疹にかかったために、せっかくの夏休みを親戚の叔父さん、叔母さんの家で過ごすことになってしまいます。そのアパートは街中のごちゃごちゃしたところにあって、遊ぶところも友だちもなく、顔をつきあわすのは叔父さんと叔母さんだけというつまらない毎日に、トムはすっかり気落ちしていました。 なかなか寝付けないある夜、トムはアパートのホールにある大時計が13回鳴ったのを聞きます。「13時ということは1時間余っていて、その1時間を自分は自由に使うことができるんだよね」という、子どもらしい無邪気な論理に導かれたトムは、部屋を出てアパートの裏玄関を開きました。するとそこには、昼間とは全く違う、みごとな庭園が広がっていたのです。 「タイムリープ」ものが好きな読者なら、これだけでほぼ想像できると思います。のちのち分かってきますが、ここは60年ほど前、19世紀末にこの場所に実在していた庭でした。トムはここで3人の少年たちや怒ってばかりの怖い女主人、純朴な庭師や召使いの人たちと何度もすれ違うのですが、彼の姿はこの世界の人々の目には見えません。ただひとり、ハティという少女だけにはトムが見えていました。年頃が近いふたりは友だちになり、広い庭園やその外にある果樹園で、いろいろな冒険を重ねながら親しくなっていきます。建物に戻って玄関を閉めると、たちまち今の時代に戻ってしまうことを発見したトムは、人々の服装やそのころイギリスを治めていたのが女王だったという情報などを手がかりに、ハティの生きている時代を調べ始めるのでした。 トムは好奇心の強い子どもで、自分の身に起こっていることを子どもなりに分析してゆくのですが、このトムの造型に、私は、フィリパ・ピアスのひとつの「思い」を感じます。つまり、子どもに言い聞かせたり教えたりするのではなくて、子どもと同じ地平に立ち、「この不思議な話に興味を持って、理解してくれる読者(=子ども)は必ずいる」と思う信頼感です。 物語の進め方は平坦ではなく、緻密に構成されています。庭園の時間がトムを置き去りにしてどんどん過ぎてゆくさまも不自然ではなく、ディテールも丁寧に描かれています。そしてもうひとつ、この物語は決して現実を否定しません。トムはハティとの冒険を弟のピーターにたびたび手紙で報告し、秘密を共有します。そして、みごとなラストシーンがあるのですが、そこでトムの体験をまるごと肯定するのは、人生経験を重ねてきた現実世界のひとりの大人なのです。現実と非現実、大人と子ども、といったような二項対立ではなく、それらはいつも地続きで、ひとりの人間の中に両方が存在してもいいんだということ、それは豊かなことなのだということをごく自然に書き記してあるこの物語に、小学生だった私は、心の底から勇気づけられたのだと思います。 ディテールや風景の描写はとてもリアルで、月並みな言い方ですが、トムと一緒に冒険をしている気分になります。作者が経験したことのないはずのこと、例えば、閉まっている扉を通り抜けるシーンなど、「ああ、こういう感じなんだ」と納得しそうになりますし、イギリスを大寒波が襲った19世紀末のある年、すっかり凍ってしまったキャム川を、スケート靴を履いて、ハティと一緒に出先から滑って帰宅する場面も、白い息が見えるほどリアルに目の前に浮かびます。スーザン・アインツィヒによる挿絵も、想像をかき立ててくれます。 この物語が今でも日本で出版されているかどうかふと心配になり、検索してみましたら、岩波少年文庫の1冊として版を重ねていることが分かりました。タイムトラベルものが巷に溢れている時代に生まれ、幼い頃からゲームに慣れ親しんだ現代の子どもたちが、この古典的な物語にどのくらい興味を覚えてくれるか、わたしには予想もできませんが、書店や図書館で出会い、もしかしたら人生の1冊になるかもしれないひとりの子どものために、この本が、いつでも、いつまでも、すぐに読むことのできる場所に存在していて欲しいと願います。 KOBAYASIさん、長くお待たせしました。次をよろしくお願い致します。(K・SODEOKA・2022・02・10) 追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目) (81日目~90日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.12 22:00:03
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