トーン・テレヘン「おじいさんに聞いた話」(訳:長山さき・新潮クレストブック)
市民図書館の新刊の棚にあったのですが、新潮クレストブックのシリーズで出版されたのは2017年のようです。著者のトーン・テレヘン(Toon Tellegen)は作家で、詩人で、お医者さんのようです。で、この名前は、どこかで聞いたことがある気がしましたが、読むのは初めてです。手にとってページを開いてみると、1941年生まれで、オランダの人のようです。本業はお医者さんらしいですが、動物を主人公にしたお話や絵本を子供たちに書いている人だったと思いだしました。 もっとも、この本は字ばかりです。もともとの題は「パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車」というらしいのですが、日本での出版にあたって「おじいさんに聞いた話」としたようです。
祖父と母とぼく、
三人で列車に乗っている。
世界が揺れ、
金と赤の線の入った黒い制服の車掌が
姿を現す。
「どちらまで?」と車掌が訊ねる。
「パブロフスクまで」と祖父が
「オーストフォールネまで」とぼくが答える。
母は黙っている。
「三人いっしょです。」と
ぼくたちは言って、切符を見せる。
車掌は制帽をトントンと叩き
切符を切って言う。
「定刻に着くかもしれないし、
少し遅れるかもしれません」
ページを開くと、最初のページに、こんなふうに始まる「パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車」という長い詩が載っていました。
調べてみると、題名になっているハバロフスクはロシアの、オーストフォールネはオランダの、それぞれ地名のようです。祖父と母とぼくが、三人一緒に二つの目的地に向かう列車に乗っているシーンから詩は始まりますが、どこに着くのでしょうね。
詩のあとには、「おじいさんに聞いた話」が40篇ほどのっています。お家にオジーちゃんがいらっしゃって、
うだうだ話
をお孫さんが聞いて書きつけていると小説集になるなんて言うのは、なんかうらやましい限りですが、よく考えてみると、ぼく自身が立派にオジーちゃんなわけで、お孫さんであるところの、チビラくんたちの誰かに話を聞かれて話すことなんてあるかなと思うと、実に心もとないわけで、ひょっとして、そんな日もあるかもと、ちょっと、夢見る心地になって、まあ、その時の参考にとかなんとか考えて読みはじめました。
で、どんな、うだうだ話かというと、要するに、なんだか行く先のあやふやな列車の中のおはなしのような、そうでないような、これがなかなか手が込んでいて、一筋縄ではとても「ご案内」出来そうもありません。そのうち、何とかしたとは思いますが(笑)
今回は追記として、最初の詩を全部載せておきます。なかなか意味深なのですが、面白ければ、本作の方へどうぞ(笑)。
追記2023・01.18
パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車
祖父と母とぼく、
三人で列車に乗っている。
世界が揺れ、
金と赤の線の入った黒い制服の車掌が
姿を現す。
「どちらまで?」と車掌が訊ねる。
「パブロフスクまで」と祖父が
「オーストフォールネ迄」とぼくが答える。
母は黙っている。
「三人いっしょです。」と
ぼくたちは言って、切符を見せる。
車掌は制帽をトントンと叩き
切符を切って言う。
「定刻に着くかもしれないし、
少し遅れるかもしれません」
祖父はパイをもってきていた。
スイカとクワスも。
ヒマワリの種が祖父のポケットから落ちる。
ぼくはチーズとチョコレートチップのサンドイッチ、
オレンジジュース、クッキー、グミ、をもってきていた。
母はなにももってきていなかった。
おなかもすかないし、のども渇かないのだそうだ。
祖父はイヴァン・クルイロフの「寓話」から
クマとカラスの話をしてくれる。
ぼくはハン・G・フークストラの
しっぽのないネコについての詩を朗読する。
窓の外を見ている母が
聴いているのか、ぼくにはわからなかった。
地平線が夕日に染まっている。
母はぼくたち―自分の父親と息子を
混同しているのかもしれない。
祖父は復活祭の夜と大火事の話をする。
ぼくはブリーレの仮装行列と四月一日の解放記念日、塁壁の話をする。
祖父はロシアの祭りマーステニツァ、ネヴァ河の氷の道、街のにぎわいについて。
ぼくはトゥルフカーデ通りの移動遊園地とロッテルダムの巨人について。
ぼくは座席に立って「こんなに大きいんだよ」と手で示す。
祖父はそれよりもっと大きな巨人を見たことがあったし
もっと小さな人も見たことがあった。
祖父のカバンのなかには飲み物のビンが三、四本はいっている。
飲み物は水のように見えた。グラスもいくつかもってきており、
ぼくに注いでくれた。
ぼくにははじめての味だ。
祖父は皇帝の暗殺について聞いたことがあった。
日曜日の公園で撃ち殺されたのだ。
ぼくはクリストファー・コロンブスと白雪姫、
皇帝ネロを観たことがあった。
ロッテルダムの映画館で。
祖父はラドガ湖を蒸気船で渡って
修道院に行った。
ぼくはカヌーで港が終わるところまで行った。
祖父がホームに立つチェーホフを見つける。
曲がった背、メガネ、ハンカチで口をふさぐ姿―
あれはアントン・パーヴロヴィッチにちがいない!
ぼくには旅行カバンを手にしたヨープ・ストッフェレンに見える。
アヤックスとナショナルチームのミッドフィルダーだ。
母がぼくたち二人を見つめる。
まるでなにかを予感しているか、じっと考えているようなまなざしで。
どう説明すればいいのだろう―
「ペスブリダニスタだな」
「持参金なしの花嫁」
母は顔を赤らめる。ぼくもだ。
愛おしくて、母の頬にキスしたくなるが、
ぼくはしない。
「もうとっくに着いているはずだ!」
突然、祖父が大きな声で言った。乗ってから何時間も経っていた。
奇妙な名前の奇妙な村をいくつも通過した。
「車掌さん!この列車はどこに向かってるんですか?」
いったいなにが起こっているのか?
兵士たちと暴走する馬たちが見える。
遠くで大砲のヒューッ、ドーンという音がする。
カラスがあたり一面を埋めつくしている。
何千羽ものカラスがカーカー鳴き、羽ばたき
死んでいる。
車掌が片目から血を流して
車両の連結部で倒れている。
まだ息をしていると思ったら
つぎの瞬間には息絶えていた。祖父とぼくは車掌を見つけ、
また座席にもどる。
ため息をついて祖父は髭をかきむしる。
ぼくはむせび泣き、爪をかむ。
日が暮れかけていた。
「大変なことになるぞ。」と祖父が言う。
「わたしが言ったとおりだ!
もう二度と元にはもどらん。
もうどこにもたどり着かんのだ」
母がかすかに首をふり、
髪の毛を後ろに撫でつける。
「明日着くわよ」と母は言った。「明日の朝早く」
祖父とぼくはうなずく。ぼくたちは母の言うことだけを信じ、
ほかの考えを押しのける。
月がのぼる。大地のざわめきは静まり、
霧におおわれてゆく。
農民は薄暗がりのなか、シャベルにもたれるか
疲れきって柵にもたれるかしている。
母がとても小さな声で子守唄を歌う。
「レールモントフのだね」と祖父が言う。
「ぼくのだよ」ぼくは言った。「これはぼくのうたなんだ」
「戦に備えるなら、母のことを思え・・・・・」
母はぼくの手を撫で
足に毛布をかける。
そんなふうにぼくたちは夜汽車に乗っている―祖父、母、
そしてぼくは、
小声で話をする。
ほとんど知らないことについて、
恐れるべきこととけっして恐れるべきではないことについて。
これからのこと、
昔のことと古い本の匂い、
夏のことと遠くのこと、
やわらかなカバノキとゴツゴツしたカバノキのちがいについて、
波の打ち寄せる音と
自分たちのまわりの土地について、ぼくたちは話す。
車輪の音しか聞こえなくなるまで
パブロフスクトオーストフォールネ行の列車の車輪。
ねっ、長いでしょ。
追記2024・05・18
詩のあとには「おじいさんに聞いた話」が続きますが、その、さわりを載せてみます。
散歩
祖父は散歩が好きだった。高齢になっても毎日曜、雪でも雨でも休むことなく散歩をした。
まだ歩けるようになったばかりのころから、子守の女性に手をひかれてサンクトペテルブルクの公園や森林公園を散策したそうだ。
一八八一年のある日曜日の朝、散歩中に爆弾の音が聞え、人びとが走って逃げるのを目にした。馬車は飛ぶように祖父の目の前を駆け抜けた。祖父がいたところから百メートルと離れていない場所でアレクサンドル二世が暗殺されたのだ。
中略
一九〇五年のある日曜には皇帝が祖父のいたほうにやって来た。遠くの方からすでにその姿が見えていたそうだ。皇帝は白馬に乗り、二人の騎手が先導して道をあけた。旗手たちは長い鞭を手にしていた。
祖父は小路を離れて木の下に立っていた。
道のすぐそばに男の姿が見えた(「偶然にもロシア人だった」と祖父は言っていた)。男は本に夢中で、皇帝が近づいていることに全く気付いていなかった。
「どけ!」と旗手たちが叫んだ。男は顔をあげたが、自分がどこにいるのかわからないように見えた。「もしかしたら頭の中ではヤルタの大通りにいたのかもしれない」と祖父は言った。「あるいはどこかの老婦人の家のペンキのはげた階段に立っていたのかも」
先頭の騎手が男を鞭ではたいた。
男はうしろに倒れた。
皇帝は砂ぼこりの中を駆け抜けた。皇帝の名のもとになにがおこなわれたのか、気にとめることもなく。
祖父は男を助けおこし、体を支えた。
「大丈夫です」と男は言い、本を拾ってほこりをはたき、つぶやいた。「どこを読んでたっけ?」
男の頬から右の首まで、太く真っ赤なミミズ腫れができ、ところどころ血がにじんでいた。
祖父になにも言わず、男はきびすを返して、ページをめくりながら立ち去った。
「なにを読んでいたのか見えなかったのが残念だ」と祖父は言った。
散歩を再開し、自分が遭遇したことを思い返すと、こんな言葉が浮かんできた。「またしても一歩、終わりが近づいた。」
「だが、それがなんの終わりなのか、そのときおじいちゃんにはまだわからなかった」五十年近くたって。祖父はぼくにそう言った。ため息をつき、左手で髭をなでながら。
まあ、こんな感じです。