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カテゴリ:読書案内「翻訳小説・詩・他」
池内紀「闘う文豪とナチス・ドイツ」(中公新書2448) 市民図書館の新入庫の棚で見つけて読みました。2017年の新刊ですから、まあ、返却本が紛れ込んでいたんだと思いますが、面白かったので文句はありません。
さすが池内紀!丁寧で分かりやすい仕事やなあ。とかなんとか感心しました。 で、それではと「読書案内」をもくろんで、著者の池内紀についてネットをいじっていて 「あっ!」 と驚きました。亡くなって、4年もたっていたのです。命日は2019年8月30日だそうです。ボクは亡くなった当座、それなりに反応したことをぼんやりと思い出しましたが、本書を読んでいる最中には、まったく忘れていたのですからひどいものです。 ついでにネットをいじっていると、朝日新聞の2019.10.23の「好書好日」で評論家の松山巌が「故・池内紀さんの仕事、本でひもとく 節を曲げず、創造続ける人に光」という追悼文を書いておられて、その中に本書に関する紹介もあったので引用します。 池内はナチスについても丹念に調べた。『闘う文豪とナチス・ドイツ』は副題に「トーマス・マンの亡命日記」とある通りマンの日記を読解しつつ、彼がナチスといかに闘ったかを綴(つづ)っている。ノーベル文学賞を受けたマンの存在はナチスにとり、煙たかったはずで、マンが講演で出国したのを機にナチスは彼の母国への入国を禁じた。以来マンはアメリカに暮らし、ナチス批判を講演や新聞などで発表し続けた。この本に池内の独自性を感じるのは、マンとは異なる立場でナチスと闘った文学者たちの動きも描いた点だ。ツヴァイクはブラジルに亡命し妻と自殺した。劇作家のブレヒトはマンとアメリカで会っているが、互いに無視した。つまり池内はナチスが何故、大衆に熱狂的に支持されたのか、その本質をナチスに反旗を翻した文学者たちの動きを通して見つめ、文学者の在り方を多角的に問いかけたのだ。ならば当然、日本はどんな状況だったか、抵抗する文学者はいたか、という新たな問いが生まれるだろう。(松山巌「好書好日」2019.10.23) 付け加えることなどないのですが、少し説明します。「トーマス・マン日記」は紀伊国屋書店から全10巻、1918年から1955年までが出版されていますが、本書で池内紀が扱っているのは1933年の亡命生活の始まりから、1955年、トーマス・マンの最後の肖像のスケッチを描いた画家ツィトロンの訪問を受けた7月の末、文字通り長大なトーマス・マン日記の最後の記述の日までです。 生涯の後半生を亡命生活で送ったトーマス・マンを「闘う作家」と呼んでのエッセイです。書き出しはこんな感じです。 日記の始まりは「一九三三年三月十五日、水曜日」の日付を持ち、前夜、「意外なほどぐっすり眠れた」ことから書き出される。 この、そこはかとないユーモアが、池内紀の持ち味です。で、最後はこんな感じ。 マンの日記がとだえるのは、一九五五年七月二十九日である。その間のことは省いて、聡明な画家の報告をしめくくりにあげておく。「…三週間後、飛行機で運ばれたチューリッヒで、詩人は亡くなりました。そしてスケッチが、〈最後の肖像〉になったのです。」((P221)あとがきにこんなふうに書かれています。 「実をいうと私は何をおいてもまず肖像写真を見やりながら、一つまた一つとつづっていった。(P226) 」4章ある各章の最初のページには、その時代、その時代のマンの肖像画が載せられていて、たとえば第III章の表紙はアメリカ市民権のIDカードだったりします。 最後の章に掲げられた鉛筆書きのスケッチのトーマス・マンの姿に、池内紀の姿がかぶります。温泉話とかお得意な方ですが、とどのつまりには20世紀の全体主義を見据えた仕事を残して去られたことを忘れてはいけないと思います。 ナチスの時代の歴史入門の1冊としておすすめですね。一応、目次を載せておきます。 【目次】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.12 19:04:10
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