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カテゴリ:映画「シネリーブル神戸」でお昼寝
コルム・バレード「コット、はじまりの夏」シネリーブル神戸 明日から、プログラムが替わるというので、大慌てで見に行きました。コルム・バレードというアイルランドの若い監督の「コット、はじまりの夏」です。期待はアイルランドの風景と、少女の眼差しでした。
大当たり! 何だかくじにでも当たったようなことをいっていますが、期待を大きくうわまわる圧倒的ともいうべき作品でした。主役の少女コット役のキャサリン・クリンチが評判のようですが、大型新人監督の登場ですね(笑) ただ、感想は難しいですね。実は、上に貼ったチラシの写真はラスト・シーン直前のシーン、自宅に帰った少女コットが駆けだしたシーンなのですが、見ている老人は 「それで、コット、あんた、これからどうするの?」 と涙しながら心の中で問いかけていた時のシーンです。 彼女は、小学校3年生くらいの少女ですが、彼女が、この後、だから、ラストシーンは、ほぼ、予想がついていたのですが、その後ですね、 「彼女はどうするのか?どうなるのか?」 と、もう、気が気じゃない気持ちになってしまった69歳の老人だったのでした。映画のなかの幼い登場人物に、何もしてやれないことを、まあ、こんなにハラハラさせていただいたのは、ひょっとしたら初めてかもしれませんね(笑)。 日本の映画業界の人たちは、この作品に「はじまりの夏」なんていう題名をお付けになっているのですが、元々の題名は「An Cailin Ciuin」、アイルランド語!ですが英語に直せば「The Quiet Girl」、「沈黙の少女」ですね。 お腹が空いても何も言えない家庭、姉たちも弟も両親もいるんですよ。それなのに、どこにも居場所がない暮らし。9歳の少女が何も云わず、涙も流さず、じっと、世界を見つめながら暮らす生活。想像できますか? 夏休みだからでしょうね、口減らしとしか思えない理由で、自宅からは遠く離れた親戚夫婦の家に預けられて、初めてであった、見ず知らずのおばさんに、生まれて初めて親切にされた夜、オネショをしてしまう9歳の少女ですよ。 その少女が、預けられた家で変わっていくんですよ。彼女を預かった夫婦も彼女と出会うことで悲しい隠し事から立ち直っていくんです。 無愛想なおじさんは 黙っていることは悪いことじゃない。 とブッキラボウにいいながら、テーブルに一つビスケットを置いて行ってくれるんです。 床掃除を手伝う牛小屋、玉ねぎをむく台所、おじさんと座る夜の浜辺、おばさんが選んでくれた新しいオシャレな洋服、向こうに郵便受けのある美しい並木道のかけっこ。 で、彼女は 牛の赤ちゃんにはお母さんの牛乳をあげて、人間が粉ミルクを飲めばいい! っていえるようになるんです。 でも、夏は終わるんです。別れが来るんです。最初に書いたラストシーンです。 見ているだけの老人は、少女が、あの、どんな干ばつのときも枯れない美しい井戸でがあることを祈りながら、涙を流すんです。 セリフはみんなアイルランド語のようでした。家や、木立、草原、そして言葉も、みんなアイルランド映画です。見たことを誰かに語りたくなる、出も語りながら涙がこぼれてしまうそんな作品でした。 偶然ですが、1月の末から 「少女の眼差し」三連発! でした。後の二本はビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」のアナとイサベル、「エル・スール」のエストレーリャですね。子どもの眼差しを、大人の勝手な解釈によって、あれこれいじらないで、静かに見入らせてくれる作品でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.09 12:22:45
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