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カテゴリ:映画「シネリーブル神戸」でお昼寝
ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」シネリーブル神戸 神戸のシネリーブルでは2024年の2月の下旬に封切られた作品ですが、チケット予約で覗くと連日盛況で、チョット近づくことを躊躇していると、今度はアメリカのアカデミー賞で脚本賞とかいうニュースが流れてきて、客足がとまるどころか・・・、仕方がないので覚悟して出かけました。
「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。ジュスティーヌ・トリエというフランスの女性監督の「落下の解剖学」でした。 大きなログハウス風のお屋敷の3階だったかの屋根裏部屋のベランダから、男が落ちて死んでいたシーンがチラシの写真です。直接の死因は頭部の打撲傷なのですが、 大怪我をして「落下」したのか、「落下」しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。 という映画でした。 「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。 まあ、そんな感じの裁判だったと思いますが、裁判という制度が、事実の「解剖」では出来事の真相にたどり着けない場合、ようするに物証がないこの映画のような事件の裁判の場合、 「結論」を物語化する ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。 ああ、これでは真相はわかりっこないな! そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが物置の屋根の角であれ、ひょっとしたら妻が振り上げたトンカチであれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、 「結論」は主観的に選ばれる よりしようがないわけです。 「裁判という制度」について最初から観客をだましているな とういう感じで見続けていました。 これは面白いやん! 島尾敏雄ですね。数年前、梯久美子の「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)という評論が話題になりましたが、その中で、 「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」 とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、 新たなるサスペンス! の始まりでした。 トンボ切れでした(笑)。 要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、アカデミー賞では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。 「ママが帰ってくるのが怖かった」 というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる「狂うひと」との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.23 00:07:36
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