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カテゴリ:映画「シネリーブル神戸」でお昼寝
アグニエシュカ・ホランド「人間の境界」シネリーブル神戸 なんとなくな、予感のようなものにうながされて見ました。アグニエシュカ・ホランドというポーランドの監督の「人間の境界」です。
映画の、そもそものタイトルであるGreen Borderという文字が白色のフォントで現れて、やがて、緑色に変わります。 で、映像では、緑の森林 がモノクロになって、場面は飛行機の機内に変わり映画が始まりました。 正確な小題は忘れてしまいましたが、「難民」、「国境警備兵」、「支援」という小タイトルが付けられて、いわば、三つの視点かららのオムニバス形式でGreen Borderの現実が描かれていました。 で、 Green Borderとは何か? というと、映画の解説によれば、ポーランド語(?)ではZielona Granicaと書くらしいですが、 「緑の国境を越える」=「政府の許可なく非合法に越境する」 という意味だそうで、EU圏内の国境自由通過を定めたシェンゲン協定(1995)以降、EU圏内における国境は自由通過らしいですが、この作品が映し出していたのはEU圏外から「誰」が、「何故」、EU圏内への、いや、ポーランドへの「非合法越境」のために、隣国ベラルーシに集まり、そこからZielona Granicaを越境しポーランドへの入国を求めているのか。 そこで何が起きているのか? ということでした。 で、映画の最初に映し出された「緑の森」のシーンこそ、その現場であり、恐るべき「現実の場所」であるという作品でしたが、映し出される映像には言葉を失い、目を瞠る他になすすべがない印象の映画でした。 「国家」と「国家」のボーダー、境界線であらわになる「国家」という共同幻想の悪夢のような現実の中に誰もが、無自覚に存在していて、その悪夢の中で、人間たちが「人権」も、「生存権」も、「モラル」も、「勇気」も、「善悪の判断」も、「誇り」も、みんな失って 「ゴミ」くずとして存在している。そんな印象でした。 映画に出てくる「難民」と呼ばれている人たちも、支援者たちも、あるいは、双方の国境警備の兵士たちや警官たちも、もう少し広げていえば、ただの市民を生活の場所から追い出した国家指導者たち、政治家たちや宗教原理主義者たちも、ついでにいえば、世界の「難民」の現実など、かけらも気にかけない生活を送る極東の島国の徘徊老人も、人間を失った、その悪夢の中に生きているという現実認識、それを突き付けてくる迫力がこの作品にはありました。 支援に参加し、国家のルールを越えて活動しようとするエリアという女性医師が登場し、彼女に対して、アナキストの一人が 「あなたを見直したよ。てっきり自己評価を高めるために支援グループに入ったんだと思ったけど、違ったね。」 と語りかけるシーンに 「映画は無力ではない!」 とチラシで語っているアグニエシュカ・ホランド監督の言葉の真意が木霊すのを感じました。 いや、それにしても、もう一度「人間」を取り戻すために、何をすればいいのか、を問いかけてくるというか、まあ、 途方もない作品! でした。拍手! 監督 アグニエシュカ・ホランド 脚本 マチェイ・ピスク ガブリエラ・ワザルキェビチ=シェチコ アグニエシュカ・ホランド 撮影 トマシュ・ナウミュク 美術 カタジナ・イェンジェイチク 衣装 カタジナ・レビンスカ 編集 パベル・ハリチカ 音楽 フレデリック・ベルシュバル キャスト ジャラル・アルタウィル(バシール:シリア難民) マヤ・オスタシェフスカ(ユリア:精神科医) トマシュ・ブウォソク(ヤン:ポーランド国境警備兵) ベヒ・ジャナティ・アタイ(レイラ:アフガニスタン難民女性) モハマド・アル・ラシ(祖父:シリア難民) ダリア・ナウス(アミーナ) 2023年・152分・G・ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー合作 原題「Zielona Granica」「Green Border」 2024・05・15・no069・シネリーブル神戸no243 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.25 22:43:25
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