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カテゴリ:映画「シネリーブル神戸」でお昼寝
マリー・アマシュケリ「クレオの夏休み」シネリーブル神戸 予告編で、主人公らしい女の子のあどけなさにつられてやって来ました。マリー・アマシュケリというフランスの若い監督の、邦題が「クレオの夏休み」、多分、フランス語の原題が「Ama Gloria」という作品でした。
邦題では「クレオ」という、小学校1年生くらいの女の子が主人公として、まあ、抜擢されているのですが、フランス語の題では、アフリカの島国から出稼ぎに来て、母親のいないクレオの子守の仕事をしてきたグロリアという女性が主人公のようで、見終えた感想は、 やっぱり、主人公はグロリアだった!と思いました。 「Ama」という言葉は、多分、フランス語で「母」、「子守」、「乳母」という、まあ、どれでも同じだという感覚の人には、大した差はないでしょうが、やはり、 それぞれ、チガウでしょ! という多義性を感じさせる言葉で、その多義性を支えている「母」性について、なんとか、子供の社会性、年齢、性別、母である女性の経済的条件、と、様々な角度をつけて描こうと苦労していた作品だったと思います。 母国で、自分の「子ども」たちの世話を任せていた母の、子供たちには祖母の死によって、出稼ぎから帰国を余儀なくされた女性グロリアを訪ねて、フランスから、アフリカの島国まで、まだ、6歳の女の子が、たった一人でやって来るという、いわば「母恋物語」で、そこを焦点化した邦題のつけ方は、いかにも、この国の蓮っ葉さを感じさせるのですが、まあ、それにもまして、 「この子のあどけなさで客を呼びたい!」と、きっと考えただろうなと思わせるクレオ役のルイーズ・モーロワ=パンザニちゃんの、振舞いも、表情も、同じ年ごろのオチビさんたちがいる老人には まあ、これで十分!(笑)でした(笑)。いや、はや、拍手!でしたね(笑)。 まあ、映画の作り手は、自分の子供の世話をすることができず、実の子供からは「母」であることを否定され、仕事で出逢った子供には「母」だと頼られるという矛盾を体験しながらも、出稼ぎで稼ぐことで家計を支えるほかに方法がない経済的・社会的条件の中で生きている女性の、まあ、分厚さを、たぶん描きたかったのだろうと思います。で、グロリアを演じたイルサ・モレノ・ゼーゴの、哀しくも、大らかな「母」性の表現は、抑制のきいたいい演技だったと思いました。拍手!ですね。 結果的には、 クレオの成長譚! ということだったと思うのですが、 この子に、そうはいっても、フランスに帰って、明日から、おカーちゃんのいない生活が待っているのは、やっぱり可哀そうだなあ・・・。 と、ラストシーンを見ながらジジイは感じたのでした。 監督 マリー・アマシュケリ 脚本 マリー・アマシュケリ ポーリーヌ・ゲナ 撮影 イネス・タバラン 編集 スザナ・ペドロ 音楽 ファニー・マルタン アニメーション アリー・アマシュケリ ピエール=エマニュエル・リエ キャスト ルイーズ・モーロワ=パンザニ(クレオ) イルサ・モレノ・ゼーゴ(グロリア) アルノー・ルボチーニ(アルノ―) アブナラ・ゴメス・バレーラ(ナンダ) フレディ・ゴメス・タバレス(セザール) ドミンゴス・ボルゼス・アルメイダ(ヨアキン) 2023年・83分・G・フランス 原題「Ama Gloria」 2024・07・16・no087・シネリーブル神戸no255 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.15 22:38:34
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