きちんとした宗教教育
地下鉄サリン事件が起きた頃、戦後の日本は宗教教育をしなかったから、こんな事件が起きたと言われた。
また、子供の躾もろくに出来ない親、正しい日本語もしゃべれない大人、感謝の心がない若者なども、きちんとした宗教教育が行われていないからだと言われている。
ただそれだけではないかもしれないが、確かに正しい宗教教育は必要だ。
それには先ず教師を教育し、親を教育する必要があるのではないか。
しかし、誰が先生になって親や教師を教育したら良いのか?
品格が無いのは外国人横綱ばかりではなく、品格のない政治家、品格のない企業トップ、品格のない教師、宗教家、法律家、警察官、芸能人、その品格のなさを真似する子供達。
日本国憲法には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されている。
この部分だけは改革してもらいたい。
法律の専門家でも、この宗教教育が何を意味しているのか意見が一致していない。
宗教一般についての知識も与えてはいけないのか、宗教全般についてなら教えても良いのか、はっきりしていない。
その結果、教えないのが一番無難だろう、何か教えて問題が生じたら面倒だ、触らぬ神に崇りなしということになってしまったらしい。
そのため、我々には宗教的な常識が一切なく、興味を持って自ら勉強した者以外は、とんでもないオカルト教団にはまってしまったり、逆に宗教は全てが危険なものと勘違いしてしまうことになった。
しかし、宗教とはいっても、知恵と英知に満ちた人間としての精神的財産もあるのは確かだ。それを知らないから、平気で人を殺し、人を騙し、他人の財産を奪えるような人間が増殖するのではないか。
人間の内面を重視する教育が排除され、詰め込み教育が始まり、それが間違いだと判ると、ゆとり教育が始まり、それも大きな間違いだったことがやっと判って、また詰め込み?
科学や経済だけを重視する歪んだ現代日本、日本人の心の歪みを、正しい宗教教育によって改善する必要があると思うが。