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カテゴリ:郷土の歴史
昭和51年に郡山市に越してきた当時、郡山市の歴史はさしたるものは何もない町だと地元の方々は云っていた。あれから約半世紀が過ぎましたら、そのようなことを云う人は少なくなりました。何となれば発掘調査がなされて、古代の埋蔵文化物等が明らかになったのであります。
埋蔵文化発掘調査費の手当は関西方面から徐々に東に及ぶので東北北海道方面は最終段階、後手に回ったということです。ですから社会科の教科書で学ぶようなこともなかったわけです。ところが地中埋蔵物の発掘がすすみ、縄文時代から連綿と人が住んでいたことが明らかになりました。 郡山市駅から南南東5kmほどに大安場古墳が平成3年に発見されて、阿武隈川流域の最大級の古墳であり,また前方後方墳としては東北地方全体で最大となることがわかった。 万葉集にもとりあげられている和歌「安積香山の歌」は郡山市の夏祭りの主役、さきの采女(春姫)が詠んだ歌と云われています。伝説として伝わっていたものが史実として遠く 滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる宮町遺跡(8世紀中ごろ)から偶然発見されたのです。平成9年(1997)度実施の第22次調査で出土。平成19年(2007年)12月に歌木簡の研究のため、宮町遺跡出土の木簡を再調査してわかったということです。 「安積山・・・」の万葉集の歌を万葉仮名に復元すると、 阿佐可夜麻加氣佐閇美由流夜真乃井能安佐伎己々呂乎和可於母波奈久尓 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに 高玉金山(たかたまきんざん)は、かつて福島県郡山市熱海町にあった金山である。 戦国時代の1573年(武田信玄が亡くなる。室町幕府が亡ぶ。)に会津の領主、芦名盛興が開山した高玉金山。 その時、安全を祈願して祀られた黄金神社は高玉山頂にある。 開坑から400年。 最盛期の昭和時代初期には日本三大金山の一つに数えられたということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/08/27 10:43:46 AM
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