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テーマ:吐息(401)
カテゴリ:Essay
昨日は土曜出勤で、少々疲れ気味。 身体は今日の天気にびりびり反応し、鎌倉辺りを散策したいモードだけれど、休息と家事をこなさなければ、来週が気持ちよく迎えられない。 だからもうひとつの楽しみの、家事にいそしむことにした。 家事といえば、歳末大掃除ベストファイブの冷蔵庫、ガスレンジ、換気扇の掃除は終わり、後は洗濯機の掃除が残っていた。 我が家の洗濯機は、すでに十年以上は使用した年期ものである。 本当は乾燥機内臓の全自動洗濯機が欲しいところだけれど、今の洗濯機もたっぷりと思い出を含んでいるので、中々放しがたい。 その思い出を補足すれば、あまり良い話ではなく嫁姑のチクチク話しなのだった。 長女が生まれた頃。 わたしと義母の間は最悪だった。 まだ六十代前半の彼女は、わたしをものすごいエネルギーで拒み続けていた。 夫と二人暮らしの新居(文字通り購入したばかり)へ、わたしが闖入したのだから、無理からぬ話だったのかもしれない(最近はそんな風に思ったりする)。 長女の誕生を喜んでくれると思っていた期待は外れ、ことごとく意地悪を受けた。 その最たるものが、洗濯機の使用禁止だったのである。 今でも思い出すと、鼻がつんと悲しくなるのだけれど、冬の最中「おしん」でもあるまいに、わたしは冷たい水でおしめの手洗いを余儀なくされたのだ。 物のない時代ならどうってこともなかっただろう。 でもガムテープで蓋を閉められた、真新しい洗濯機を横目に手で洗うという行為は、こうして記述する以上に辛い仕打ちであった。 そこには優しさの欠片もなかったのだから。 でもいつしか時は流れ力関係も崩れた。 そしてその忌まわしい洗濯機が壊れた時、わたしが今の全自動の最新型を買ったのだ。 少しも素敵な思い出ではないけれど、やっとわたしの洗濯機ができたのだから、ものすごく嬉しかった。 そんな思いが、まだまだ使える洗濯機を手放せない。 再び輝き、当分は家族の役に立ってくれる。 だからこうして、わたしはせっせと掃除に励むのだ。 ※画像は紅葉で名高い永観堂。 本文とは関係ないけど、先日訪れた時の様子をぱちり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月23日 14時13分41秒
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