★無事終わりました
96歳で亡くなった母は生まれた時と同じ町で(間で少し他所で過ごしたことはあるが)生涯暮らしたのでご町内では顔役だった。そういうことも考え、弟は亡くなった当日(夜)施設から母の遺体と共にセレモニーホールへ向かう途中、まず自宅前を通り、ゆっくりゆっくり母の生まれた実家(今は甥が住む)や婦人会や老人会でお世話になった人たちの家や思い出のご町内のポイントをぐるぐると1時間位掛けて通過。弟は母の手を引いてご町内の知人宅へお礼を言いに巡ったような気持だったと(会葬御礼でその心情を語った)。当日はばぁばは家に帰ってきて翌日は単身者のばぁばは身軽だからどこにでも転がり込む覚悟でお泊りグッズや葬儀の時の洋服や靴などの入ったカバンを持ってまず弟宅へ。そこから弟に指示されるまま、セレモニーホールへ。時間の経過と共に関東からの飛行機組やマイカー組が続々到着。大勢の子や孫やひ孫たちが掛け回って賑やかになった。母の遺影は満面の笑みで大きな口を開けみんなに笑い掛けていた。(丁度この絵文字のような顔)通夜はうさこさんの相方とばぁばが母の遺体と共に過ごすことになった。この頃は渦巻き型の長時間のお線香もあるからあまり心配することはないけれど、短い線香も立てた。そういえば小6の夏休み、祖母が亡くなった時、徹夜でお線香の番をした思い出話を馬吉に話すと興味を持ったようで「泊まれば!」と誘うと迷っていたが、帰って行った。翌朝 起きて一番に「ばーちゃんはちゃんとお線香の番をしたかな?」と心配してくれたと連絡があった。あとからやってきた時、ばぁばが亡くなった時の通夜の線香番に馬吉を指名。本当にやる気充分。悪いがもう少し待っておくれ!。一度、その体験がしてみたいと言い、家に線香がないから「蚊取り線香では駄目?」と聞くので大笑い。送ってもらった便でばぁば宅にあったお線香を、持って帰ったので近日中の土曜日の夜 徹夜で試みるつもりのようだ。大勢のひ孫達が賑やかだったのが、慌しい中で笑いを誘い普段なら斎場ではありえない光景が孫達がだるまさんがころんだや かくれんぼをして遊んで2時間を過ごした。これも長寿を全うした母の葬儀だから発生した現象といえるかと・・・弟の会葬御礼の挨拶は長かったが内容が母にまつわる話で感動的だったから長さを感じなかったが(親戚の人も褒めていた)長かった事を感情に表したのは、葬儀社の係員だった。私も接客の現場に居たので、そういう目で見ていて同じような仕事だった姪も「あの女の人、ばちゃんが仕事してた頃と似てる」と言ってた。最初はなかなか良いという印象で、自分の葬儀もそこでお願いしようかなと思っていたのだが・・・最後で丸つぶれになった。裏方の忙しさを表に出すのは最低。温かいメッセージを記入してくださった皆さん本当にありがとうございました。楽天ブログは私の本館ですから、私の身に起きた事は何もかも書くけれど町ブログは”何も知らせず2日間、予告なしで休んで”今日から、”何も知らせることなく”・・・・普通どおり再開。あちらはそういうスタンスのブログです。そんなことで無事母を送り出し,弟宅はまだ後始末が残ってはいるだろうがとりあえず我が家にはまた、日常が戻ってきた・・・と思ったら姫が熱を出し今日は ばぁば預かりとなりました。。。。。。。。。通夜では3時間くらいしか眠ってなかったので夜は早め?いや・・なんとイ・サンを眠りながら見て・・(録画もした)朝は8時に目が覚めた。とりあえず睡眠不足は解消しました。・・・・・・武田教授のブログより福島4号機の工事が杜撰で、冷却配管を損傷したと考えられます。このため、6月30日の午前6時から冷却ができなくなり、温度が少しずつ上昇しています。そのうち正式な報道がされると思いますが、私が計算したところ、このまま冷却配管が損傷した場合、4号機のプールが100℃を超えるのは7月5日夕刻と考えられます。私はその後も急激な放射性物質の飛散はないと思いますが、専門家によっては飛散があるとしている人もいますので、一応、温度の状態だけ計算しました。おそらく、このままいって使用済み核燃料プールの温度が100℃を超えて、水が沸騰し始めるのは7月5日の夕刻と考えられます。その後も余裕があると思いますので、福島の人はすぐ逃げる必要はないでしょう。風向きには一応、注意をしておいてください。(平成24年7月1日)★被災者が選んだ震災グッズをまとめています・・・・・・・お薦め雑貨&インテリアグッズ