幸せとは・・・
友人のブログで見つけた記事です。とてもステキだったので、ここで紹介します。「幸せとは、1.人に愛されること、2.人に褒められること、3.人の役に立つこと、4.人に必要とされること、です。愛はともかく、あとの三つは仕事で得られることですよ」この言葉は、日本理化学工業という、チョークを製造する従業員74人の会社の会長さんが、禅宗のお坊さんから聞いた言葉なのだそうです。この日本理化学工業という会社は、従業員74人のうち55人が知的障害者なのだそうです。ちょっと長いのですが、新聞記事を掲載しますので、ご興味のある方はご覧ください。 ■社員の7割超が知的障害者■http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_08110701.cfm 知的障害者の雇用に取り組んで半世紀。チョーク製造大手の日本理化学工業(本社・川崎市高津区)には、全社員の7割を超す知的障害者が働く。経営姿勢を変えるきっかけになったのは、養護学校の先生が必死に訴えた一言だった。 1959年。養護学校の先生が卒業予定の少女2人の就職の依頼に来た。最初は取り合わなかったが、3度目の訪問で、「この子たちは、就職できないと親と離れて地方の施設で暮らすことになります。一生働くことを知らずに終わってしまいます。一度でも働く経験をさせてくれませんか」と。この一言が「今の自分を作りました」と、大山さんは振り返る。 2週間にわたる実習期間中、2人は昼食の時間になっても手を休めることなく、懸命に汗を流した。心を動かされた従業員が、最終日に「我々が2人の面倒を見ますから」と懇願し、採用が決まった。 75年には、同社の知的障害者の雇用率が50%を超えた。現在、本社と北海道美唄市の工場の全従業員74人のうち、54人が知的障害者(重度障害者は33人)だ。 初めて採用された女性の一人は64歳になり、嘱託として接客などをこなす。96歳の母親と支え合って暮らしているのだという。 能力に合わせて工程を考えた共生型の生産ラインは、誰が作業をしても同じ結果が出せるように工夫が施されている。機械を始動・停止させるタイミングを計るのには、砂時計が使われている。計量は、同じ色の原料を同じ色の容器に入れ、同じ色の重りと釣り合えば済むようにされている。製造ラインの知的障害者の比率は、9割を超える。 禅僧に、「人の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることです。愛されることを除くと、あとの3つは、社会で働くことによってこそ得られます」と教えられてから、働く場の拡大に開眼した。 人脈をたどり、一時はカセットテープなどを生産し、大手オーディオメーカーに納入する仕事も請け負った。工程の環境を整えることで、品質の高い製品を生産できたという。現在は、粉の出ないチョーク、環境に配慮した白線引きの粉、プラスチック製品などを製造している。 工場には、毎日、見学者が訪れる。案内役の大山さんは、「各持ち場でテキパキと作業をこなす姿に、心を動かされる人がいます。後日、激励の手紙も寄せられます」と話す。 知的障害者の平均年齢は46歳。「仕事に没頭する彼らを見ていると、いろいろな人が働ける、もっと良い世の中を作って――という無言のメッセージが伝わってきます」と、気持ちを新たにしている。(2008年11月7日 読売新聞) ■大山泰弘 社員の7割が知的障害者、人は働いて幸せを知る■ http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/b37e4dc58d49359e7d2f01d054b08524/ 私が会長をしている日本理化学工業は、チョークを製造する従業員74人の会社です。昭和12(1937)年に父親が創業しました。川崎と北海道・美唄(びばい)に工場がある、ありふれた中小企業ではありますが、よそにはない特徴があります。それは従業員のうち55人が知的障害者だということです。 うちの会社では知的障害者も生産ラインで一人前の労働力として働いています。障害者に作業方法を教え込もうとするのでなく、障害者の能力に合わせて作業環境を改善すれば彼らも立派に働いてくれます。チョークという小さな市場ですが、日本理化学は国内シェアが3割あって、業界トップを維持しています。 障害者を雇うようになったのはまったくの偶然です。今から49年前、当時は東京・大田区に工場がありましたが、近くの養護学校の女の先生が訪ねてきました。中等部を卒業する2人の女生徒を受け入れてもらえないかという依頼でした。その先生は「子どもたちは、このままでは働くことを知らずに一生を終えることになります。何とか雇ってもらえないでしょうか」とおっしゃいます。 しかし私自身、福祉や障害者のことなど何も知りません。「お気持ちはわかりますが……」とお断りしました。が、何度も訪ねていらっしゃいます。子どもたちの境遇と先生の熱心さに打たれ根負けするような形で、1週間の実習だけならと、受け入れたのがきっかけです。ちなみにその2人は正社員として入社し定年まで勤めてくれました。 障害者を雇うようになって数年経っても、彼らがなぜ喜んで工場に通ってくるのか、私は不思議でなりませんでした。工場で働くよりも施設で暮らしたほうが幸せではないかと思っていました。言うことを聞かないため「施設に帰すよ」と言うと、泣きながら嫌がる障害者の気持ちがわかりませんでした。 そんなとき、ある法事で禅寺のお坊さんと席が隣合わせになり、その疑問をぶつけたことがありました。するとそのお坊さんは即座に「幸せとは、1.人に愛されること、2.人に褒められること、3.人の役に立つこと、4.人に必要とされることです。愛はともかく、あとの三つは仕事で得られることですよ」とおっしゃったのです。私はその言葉に深く納得しました。 働くことは自分のためであるが人のためでもある。企業が利益を追求するのは当然ですが、同時に社員が幸せを求める場でもあると考えるようになりました。おおやま・やすひろ1932年東京生まれ。チョーク製造の日本理化学工業会長。中央大学法学部卒。父親の経営していた同社に入社し50年以上実質的な経営に当たる。同社は知的障害者を積極的に受け入れ、心身障害者多数雇用のモデル工場となっている。 (2009年1月16日 週刊東洋経済 - 情報量と分析力で定評のある総合経済誌)就職氷河期と言われる今だからこそ、働くことの意味を、雇用主も従業員も、もう一度考え直す時なのではないかと思います。『幸せ』の考え方は人それぞれあるとは思いますが、このお話はとても納得できたので、友人のブログから拝借いたしました。