天国に住まうが如く
今、この場所が天の国。今、この人たちが天の住人。どんな環境にいても、 どんな場所に過ごしていても、そこにある自分のココロに一念は、三千の世界に通じて彩られる。ビルの地下の汚れた通路の通勤ラッシュ朝の電車、時折現れる変なヤカラ。けれどもバスは、いっぽん遅れで余裕はあった。歩く人々の中にある、そのココロを想うままに生きてゆければいいのだろうけど、そこにある日常の中で埋もれてゆくしかできないままの自分がいつもそこにある。さあ天の国はいずこへ?天の国はこのココロの奥から三千の光を放って常にある。今ここに『それ』を見るなら、すでに『それ』は存在する。今ここに『それ』を認めるなら、すでに『それ』は存在する。天の国の高度な光の芸術で、それは創られているらしい。天の国の高度な光の技術で、それは造られているらしい。なら、ビルの汚れた地下街も、古びた出口の階段も、さびれたどこかの街並みもあの汚ったない並びの自販機も!みんな高度な光の芸術がその奥で輝いているのかも。わざとそうなのかも。わざとさびれてるのかも。わざときたない環境を、超高度な技術で造形し、わざわざ創り出してるのかもしれない。神さまの芸術で!天使たちのいたずらで!そうしてその環境に現れている人たちが、みな天の国の住人であって、みな根本的には善良で、いい人たちであると思えるのならば、もっと信じあうことが出来るのでしょうね。もっと分かり合おうと思えるのでしょうね。もっと自分の中に天の光を三千に輝かすことが出来るのでしょうね。天国にすっぽりと、舞い落ちた今ある環境を、そのまま天国の巨大な舞台芸術の中のひとコマ。舞台仕掛けのワンシーンだと気付けば、ココロは純粋に、その思いの世界を創り始めてゆくのでしょうね。一念が三千であるが如くココロ軽やかであるならば、それはただちに、天国に住まうが如しになるのだろうね。