『催眠術全書』から
2、催眠術の原理その他 催眠術を習いたいと希望せられる大多数の人々のその目的は「催眠術をかけるようになりたい」のであろう。催眠術をかけようとするには、まず催眠術のかけ方を覚えるのが肝要であり、原理を研究するのは後回しにしてよろしい。かけ方を会得してじゅうぶんかけることができるようになってから原理を研究するのがよいであろう。いかに原理を研究しても催眠術をかけることはできないからである。このことは著者年来の主張である。前述のように著者は、ただかけ方を習っただけで、じゅうぶんにかけうるようになったその経験から主張するわけである。 そこで、催眠術の原理であるが、これはまだ確立されていないのが真実であって、世界の多くの科学者、催眠術家等によって多年研究されてきたし、もちろん、なお研究は続けられているが、催眠現象は複雑であり、理論もまだ確立されていない現状であって、ただそのうち「条件反射」がもっとも有力な一要素であるとされているに過ぎない。 このように言ってしまうと、読者各位はあまりにあっけないと思われるであろうから、催眠術に関する概念について若干述べてみよう。3、催眠術は神秘的のものではない 催眠術は誰でも覚え得られるものであり、決して難しいものではなく、また不思議なものでもないのであるが、世の中は「目くら千人、目あき千人の集まりである」と言う諺のように、ことさら迷信的なものを信じ、それに興味を持つ人や、科学知識の乏しい人も相当あるため、このような人々の催眠術に関する知識の皆無なのにつけ込んで、催眠術は「心力の波及」であるとか「神秘」なものであるとして、もったいぶったり、あるいは「不思議な妖術、幻術のたぐい」であるかのように称し、または「念力による放射能の発出だ」というようなとっぴな珍説まで吐いて世人を煙に巻いている営業者もある。 もっとも、このような人々は、自己の知識の浅薄なことを自ら暴露した証左であって、識者のひんしゅくを買うばかりであるのは、言をまたないところであり、一笑に付してしまえばよいであろうとも思えるが、しかし、私はこのような低級幼稚な、しかも山師的な珍説でも、ひいては催眠術そのものまで社会の笑いの種となる可能性のあることを憂うものであり、はなはだ遺憾であるからこのように反駁したい次第である。 十八世紀の初めころから以後の大家の説でも明らかなように、催眠術は心力の波及でもなければ神秘的のものでもなく、また妖術のたぐいでもないことを、まずここにはっきりと断言しておくものである。 この『催眠術全書』は昭和34年に発行された本です。