『催眠術全書』から
2、神経質治療 昭和33年五月13日 名古屋市中区 山田清雄さん 二十歳(学生) 名古屋市の、ある有名な病院長から手紙が来た。その文面によると、医院長の息子が神経質でそれが数年来はなはだしくなって、そのため勉強ができず、大学の入学試験も受けることができず困っている。催眠術によって息子の病気をなおしてほしい、との依頼状だった。『私の勤先の学校でもよし、私の宅でもよいから、都合のよい日に御上京ください。ご上京の前日までに御連絡を願いたい、お目にかかって容態をくわしく聞かせていただきます」 と、いう意味の返事を出した。それには当方の都合のよい日と時とを書き入れておいた。 私の返事が先方に届いたであろうと思ったその夜、電報が来た。 清雄君は、おかあさん(病院長夫人)と一緒に私の宅に来られた。私は勤先からちょっと還ってきた。清雄君の病状を聞いた、それによると。物事が何でも気にかかる性分で、たとえば机の上の本がちょっと歪んでいても気持ちがわるい。それでいて、気分が散漫で勉強ができない。本を読もうとしても気が散ってどうすることもできない。家の中の戸障子の開閉の音や、戸外を通る車の音、人が話をする音、ラジオの音、その他全ての音響が耳に入ったり雑念がとりとめもなく次から次へと浮かんで、読もうとする本がいつまでたっても一行も読めない。もう自信がなくなって勉強する勇気が出ない。 と、だいたいこのような症状であるとのことだった。これは神経衰弱でなく、神経質なのであろうと私は思った。神経質は最もなおりにくい症状である。私は、清雄君とそのおかあさんに病状をじゅうぶん語らせてから、「よくわかりました。精神的の病気は催眠術によって必ずなおりますから安心してください、そしてあなた自身も必ずなおるという自信をもってください」 と、予期作用を与えてから、「では、催眠術をかけましょう。そこの椅子におかけください」「奥さん(患者のおかあさん)も、そこで見ていてください」「まず、気持ちを落ちつかせるために、目を閉じてください。そして、両手をこのように合わせてください。私が、はいッ・・・・・と小さい声で合図をします、すると、その瞬間に手の感覚がなくなって、その手がくっついたまま、離れなくなりますよ・・・・・では、合図をします・・・・・はいッ」「ためしてごらんなさい・・・・・そのとおり手が離れないでしょう・・・・・、こんどは手が離れますよ・・・・・はいッ」「両手をひざの上においてください。あなたは完全に催眠術にかかったのですから、次は病気のなおる暗示を与えますよ」「あなたの脳に命じます。催眠術によってあなたの脳に厳重に命じます」 と低い声ではあるが、厳格な気持ちで抑圧するように、そして私はどうしてもなおさなければやまないという確固たる信念を持って努力し、次のように暗示を与えた。「あなたの病気はただ今限り全治しました。完全になおりました。こてからは落ちついて勉強ができる。勉強中は決して気持ちが散漫になるようなことはない、注意が集中するようになって勉強ができるようになり、勉強するのがとても楽しくなる」「催眠術によって、あなたの病気はこれで全治し、気持ちが落ち着いたことと、勉強に専念することができる。いま、あなたの脳はここ事をはっきりと銘記しました。決して忘れない」「次に健康になる暗示を与えて脳に銘記させましょう・・・・・、あなたの脳に命じます。あなたはいっそう健康になります。頭脳が健康になります。頭脳が明晰になって記憶力が増進します。肺も心臓もじょうぶになります。胃も腸もじょうぶになり手も足も、体のあらゆる点が健康になります」「これで、もうよろしいです。病気は全快しましたから、そろそろ催眠術を解くことにしましょう。私が、1,2,3と三つ数えますと催眠術が解けます、解けると頭が軽く愉快な気分になります」「では催眠術をてきます。1,2,3・・・・・、静かに目をあいてください」 このようにして病気の治療の施術を終わった。 それから一週間ほどたってから、病院長からの丁寧な挨拶の手紙を受け取った。それによると、息子さんは帰宅した翌朝から早々と勉強をはじめ、以後毎日熱心に勉強に専念しているらしく、病院長夫妻は喜んで、ひそかにそれを見守っている。感謝にたえない、とこのようにしるしてあった。