長尾式催眠療法と無痛分娩
無痛分娩 催眠術応用の無痛分娩については、わたしの知るところでは、1891年ドイツの大家シュレンク・ノッチング氏によって行われた文献があります。 この催眠術応用の無痛分娩は、単に言葉による暗示を与えるだけであり、母体にも産児にも、いささかの害もなく、かつ、どのような無医村の山間僻地でもでき、簡単で費用もかからず、だれでもできるきわめて有効な方法であります。 (近年、1精神予防性無痛分娩法と称する分娩が行われていますが、これは「お産は苦しいものであると思うのは誤りで、無痛なのが自然の姿である」ということを了解させるため、特に日赤などの大きな病院で講習を開き、妊婦に対し医師や助産婦から、口頭による説得と適切な運動とによって、なるべく疼痛を減じさせて分娩ができるよう訓練する方法でありますが、催眠術によらない説得の言葉は、催眠術応用の暗示のように脳に感銘をさせることができないので、全くの無痛でなく、日赤でも「実際は疼痛を和らげる和痛分娩の方法である」と明言しているのです。また、 2、麻酔剤を使用する無痛分娩法と称するものも行われていますが、これは麻酔剤の力をかりて疼痛を和らげる方法で、これも和痛分娩であるといわれております。母体に麻酔剤を与えると胎児に影響があるのは当然であり、母体に与える麻酔剤を少量にして、胎児に影響ない程度とすれが、無痛とならないうらみがあるのです。 以上二つはの方法は、催眠術とは全然関係がないので、これに対する批判などは遠慮しまして、ここでは単に「このような無痛分娩と称する方法もある」ということだけにとどめておきます) 無痛分娩の理想としては、 1、まず第一に、その方法が簡単で、費用もかからず、いつでも、どこでも、だれでもできること。 2、母体にいささかも苦痛を与えず、楽々とお産ができること。 3、母体にも、生まれてくる赤ちゃんにも、いささかも害にならないこと。 と、この三つの条件に合致させる方法でなければならないでしょう。この理想的な方法としては、催眠術応用の無痛分娩のほかにはないものとわたしは確信しております。しかるに、この催眠術応用の無痛分娩に関する本は、かつて一度も出版されたことがないらしく、はなはだ遺憾に思います。 そこで私は、このように有効で無害な催眠術応用の無痛分娩法が、一般に広く普及されるようになり、もって無限に続くわれら人類の母体ー現在と将来とにわたる幾千億の産婦ーのために貢献したいものと念願し、その方法を述べようと思うのですが、しかし、それには、まず妊婦のことから、胎児が発育する状態、それに伴う母体の変化等に関する知識および一般分娩の常識などについても参考に供したいため、これらを平易に誰でもわかるよう詳細に述べようとするには、相当の紙数を要しますから、この本では、このことは全部省略し、あらためてペンを執り「だれでもできる無痛分娩法」と題する単行本として発行する予定です。ご期待ください。 〔付〕 無痛分娩と産婦人科医師 私は、東京の某医師会の要請である日の夜分に、約二時間余にわたって催眠術の講演と実験を行いました。観覧席は全員医師で数百人、講演も実験も、よほど面白かったらしく、大半の医師先生によって洪笑大爆笑の連続でした。 実験が終わろうとしたとき、私は観覧席の先生方に対し、 「この実験を終わるに当たりまして、最後にこの場で先生方全員一緒に催眠術をかけて、腹ペコになるほど笑っていただきましょう」 といったところ、ひとりの先生が、 「それはごめんです。これ以上笑わせられては腹が痛くなります。先ほどから、あまり笑っておなかの具合が変になったような気がしますから、もう笑わせないでください」 と言って、また全員で大笑いでした。l 「では、これで実験を終わります。御清聴を感謝します」 と、講演と実験とを終わって解散になり、私は応接室に招かれて、この医師会の会長その他役員数名の方とお茶菓の饗応を受けて、談話を交えていましたところ、そこへ、年のころ五十歳ぐらいのお医者さんがこられ、私に対し、 「私は産婦人科に医師ですが、今晩のご講演と実験とを拝聴して、いたく感銘しましたが、しかし、ひとこと申し上げたいと思います。これは私個人の意見で、産婦人科医師の代表ではないですが、すべての産婦人科の医師は私の意見に同調されることと思います。私の意見と申しますのは、今晩の無痛分娩のお話を拝聴しまして、なるほどと感心しました。しかし、催眠術による無痛分娩を普及せられることに対し、私は断じて反対します。無痛分娩が実現するようになると、私ども産婦人科の医師は大打撃を受けることは明らかです。ですから、分娩を除くほかの病気、難病に催眠術を応用せられることに対して私どもはなんとも異議は申しません。ただ無痛分娩については講演はもちろん、実行なさらないよう、堅くお願いしたいのです」 と、この先生は大真面目で、しかも不愉快そのものだという態度で述べられたのです。この先生の御意見に対し私は、 「私個人のために主張するのではなく、現在から将来、幾千万年も永遠に続く産婦のために、ほんとうの無痛分娩が行われるのを念願しているのですから、たとえ全国の、全世界の産婦人科の先生が反対せられても、私は私の主張を翻すことはできませんから、どうぞご了承を願います」 と答えました。するとその先生は、 「産婦が分娩にあたって少々苦しむのは当然のことで、決して生命に別状がないのですから、何も好んで催眠術による無痛分娩を行う必要はないのです。医師としては難産ほど儲かるのです」 といって、応接室を辞去されました。 私は、この先生の意見を聞いて唖然としてしまいました。その場に並居る数名の先生方も一言も発する方もなく、しーんとして座が白けてしまいました。