駅からハイキングin秋田駅(2011/11/5)
鎮守の社と新川の渡船場跡を歩く 藩内物流の大動脈だった船運の要衝として栄えた渡船場跡と秋田藩鋳銭座跡等を散策しました秋田駅市立病院前(バス停)スタート高清水酒造総社神社鋳銭座跡倉稲魂神碑市立病院前(バス停)秋田駅ゴール今回は、5,6日と連続秋田市の駅ハイですので「秋田マタギの里パス」を購入し、JR鷹巣駅から乗降ですよ今回の駅ハイで。。。ブロ友のタンさんと初のごたいめ~~~ん秋田駅から路線バスで市立病院まで移動しますよ 片道 250円市立病院前から合流する参加者の方もいらっしゃいましたね諸説明の後、早速スタートですよ総社神社 川尻氏の氏神として神明山(千秋公園台地)に祀られていましたが、慶長8年(1603)窪田城の築城に際して、樽山の下浜に移し、宝永4年(1707)現在地に社殿を造営して遷宮しました。 藩政時代は藩主佐竹氏の崇敬が厚く、藩の守護をうけて栄えました。 伊勢神宮ほか多くの神を祭神とするので総社と称されました。秋田市内では結構知られている総社神社の大きな絵馬は、その年の干支が描かれているそうですよ秋田市上下水道局は、秋田県秋田市の地方公営企業の一つで、同市川尻みよし町に本庁舎が所在します。秋田市上下水道局の近くにある秋田刑務所秋田市内のマンホールは「竿灯」が描かれていますね鋳銭座跡 銭座(ぜにざ)とは、江戸時代に寛永通寳を始めとする銭貨を鋳造した組織や機関で、江戸時代前期は、寛永通寳などの銭貨鋳造は民間の商人らによる請負事業であり、幕府の許可制によるものが中心でした。 銭貨の需要が生じたとき幕府は随時、鋳銭希望者を公募し、銭貨を大量生産する能力を持つ者に期限を区切って鋳銭を命じました。 全国六十箇所以上に上る各銭座のうちの一つがここだったそうです。新川の渡り跡川尻新川、秋田刑務所裏手の新朝日橋も、昔は雄物川が流れていて渡しがありました。。 これを「柴の渡し」といい、眺めの良さは格別だったようです。干し柿が吊るされていますね倉稲魂神碑弘化二年(1845)に建立された「倉稲魂神碑」(うかのみたまのかみひ)があり、市指定文化財に指定されています。地名を御船町というように、当時この付近に旭川の船着き場があり、米俵の積み降ろしの際にこぼれ落ちた籾米を供養するために建てられたもので、地名はその後、追廻(おいまわし)と変わり、現在は登町の一部となっています。路上で野菜がすべて100円で無人販売されていましたよいきなり我が班の案内人さん、道端のおばあさんに声をかけ、「何かここら辺のことで昔の話ないですか?」「あらら・・ごめんなぁ~・・ここの人じゃないから何も知らないのよ~」( ´艸`)ムププ お疲れ様です!さて。。駅ハイ参加者一番?のお楽しみだった試飲出来るはずの高清水酒造だったのですが・・秋田市内で他の催し物で試飲会があった為、従業員さんたちほとんどが出払ってしまい、見学、試飲が出来なくなったとのことで、工場周りだけ見学ということになってしまいました。参加者の皆さん、ぶぅ~ぶぅ~状態仕方ありません。。こういうときもあります!秋田市立病院に向かいますよ井戸があった跡で、今もこんこんと沸いていますが、飲めないとこと。。この水は・・今は、隣の花壇用に使われているようですよ駅ハイコースこれにて終了!秋田駅に向かいます関東メンバーさん達数人は、歩いて秋田駅まで行かれるそうで、ここでお別れです市立病院前から再び路線バスに乗ります 片道 250円 サヨウナラ~またね_φ(o゜C_`o)ゞ