あきれるほど真っ直ぐに
初めて、自主練ってものをやってみた。寝て、蹴って、食って、走って1年半。こういう生活も悪くないって思った。 佐藤勇人これは僕がJ-リーグの中で一番惚れ込んでいる選手佐藤勇人(ジェフ千葉)という選手が残した言葉です。彼は知っている方もおられるでしょうが2006W杯で惜しくも落選した佐藤寿人の双子の兄です。兄弟両方ともひけを取らないほどのサッカーセンスを持っています。またしってのとおり、兄弟そろってオシムジャパン日本代表に選ばれました。昔彼が高校のときグレてサッカーを2度止めかけたときがあったそうです。彼の両親は、寿人と勇人が中学でジェフユースに通うお金を払うために地元で町人気店だったラーメン屋をたたんで引越しまでしました。優等生の寿人とは対照的に、そんな親の苦労も知らず、高校2年のときにサッカーを辞めゲーセンで明け暮れる日々。しかし父は練習場に足を運ばない勇人の月謝も払い続けていたそうだ。思い直しサッカーをまた始める。もともと素晴らしい実力はあった。ただ監督やコーチと馬が合わなかっただけである。そんな実力を持った彼に当然のように高3の2月ユースからの代表招集がかかった。しかし彼は日サロにいるのでいけませんと断り、召集が立ち消えになった話も有名であるという。高校卒業後、弟と共にジェフユースからプロに昇格する。、しかしまたそこでも監督と馬が合わず移籍話も何度もあがった。結局「日焼けサロンにいっているヤツなどはとても使えない」と移籍先の監督に一蹴され弟の寿人が変わりに移籍する羽目に。そして彼は2003年に惜しむと衝撃的な出会いを果たす。勇人に向けられたこの言葉はいまやもう、kなり有名になっている「ライオンに追われたウサギが逃げる時に肉離れをおこしますか?」勇人は「うまいことを言うなぁ」とこの言葉に深く感銘を受け、以後、サッカーに情熱を燃やすようになる。それまでやる気のなかった勇人が、監督から見られていることに気づき、見違えるような成長を遂げたのだ。 ジーコジャパン時代も勇人には代表入りのチャンスがあった。だが、勇人は“ジーコの日本代表”には全く興味を示さなかったという。その理由が、「代表に行って10日間も空いたら、オシムの練習についていけなくなる」というもの。それほどまでオシムのサッカーを信奉しているわけだ。 「練習でオシム監督はイライラしている感じがあった。オシム流の練習に慣れている千葉の選手が、代表のみんなに伝えられたら…」と言う勇人。今度はオシムサッカーの体現者として、恩返しする番だ。 とこのように言われている。勇人最高です