父の退院 病気を通して変わってきたもの その2
続きです 私の中で何が変わったかと言えば、父に対する見方と家族の関わり方だと思います。 ガンと宣告されてもいつもと変わらないように冗談を言って周りを楽しませようとする父の姿や、会社の方が来てくださった時のやりとりから、周りの方々の温かさを感じると同時に父は好かれているのだなという思いを感じました。 そして社会での父というのを少し知り、見直す思いになりました。 家族の関わり方について。 私は結婚して10年近くになりますが、今まで主人の家に嫁に来たということで、自分の実家のことについてはいろいろと遠慮していました。初めは相手の姓になる、家に入る(同居をしたことはありませんが)ということを意識し無さ過ぎたくらいでしたが。しかし、長男を出産した後、実家で3週間ほど過ごさせてもらうことになり(私のわがままでですが)実家へ行くときに、義母が私の実家に「これから家の嫁と孫がお世話になります。どうぞよろしくお願いします」電話で挨拶するのを聞いたときに、嫁に行くというのはこういうことなんだと初めて実感しました。(同居しているわけではないのですが)義母は「実家と言っても今はあなたはお客様なのだから、しっかりご挨拶をしてお礼も形できちんとしてきなさい」とおっしゃいました。息子はお互いの家の孫であり、私は実家にとっては実の娘であるけれど、もう主人の家の人間、息子は主人の家の孫なんだとその時に感じ、それから意識するようになりました。 その義母も数年前に他界しましたが、義父は養子として入り、家を継ぐ身となったので家というものにやはりこだわりをもっていると思います。なので、実家にはそれほど頻繁に行くものではないし、行くときは前もって「実家に行ってきます」と言うようにし、また、やはり実家よりも嫁ぎ先の家のことを優先として今までやってきたつもりです。 でも、今回、最初の診断で進行ガンでかなり深いところまでいっていると聞いた時は、あとどれくらい生きられるのがまず頭をよぎりました。父が病院に行くまでの経過を聞くとかなり自覚症状があったこと、自覚症状があってガンだと判明した場合は手遅れのことが多いと思い込んでいたこともあります。 父がいなくなるかもと考えた時、このままで私はいろいろと後悔することがないかと思わされました。“遠慮していて”というのは結局言い訳ではないか。後悔することがあった時に、それは人のせいにすることにはならないかと思い、今できる精一杯のことをしたいと感じました。 でも、一方で頻繁に実家や病院に行くのも主人に迷惑をかけることになるかもしれない。義父はどう思うだろう。実家から100キロ近く離れているので高速道路の料金やガソリン代、お見舞いなどお金もかかる。私は働いているわけではなく、主人が働いて得てきたお金を、家を離れ、嫁いだ私が実家のために使うのもどうか、それは申し訳ないという思いもありました。 なので、初めのうちは、心配そうにする私に、主人が「あっちの実家に行こうか?」と言ってくれるのを「まあ、元気そうだし大丈夫だよ」などと返していました。しかし、私の顔に表れていたのか、様子を察してくれたようで、主人が「自分の父親なんだから、俺に遠慮せずにどんどん行けばいいよ。子どものことも何とかするし。」と言ってくれました。その言葉を聞き、私はたいしたことはできませんが、何か親孝行できるとがあれば・・と素直に行動することができるようになり、本当にありがたかったです。 父も今は家で少しのんびりとして、少ししたら、また仕事に戻ると張り切っています。弟もこの冬に結婚することとなりました。弟の彼女がまたとてもいい子で父も嬉しそうです。本人にとって本当に病気や手術は大変なことでしたし、今後も油断できないですが、それでも得たことも大きかったように思います。