カテゴリ:歴史
「和の国チャンネル」
『田中英道が語る 映画オッペン・ハイマー 原爆・核戦争⑤』 日本の核開発の真実 知らぬは日本人だけ…! 日本統治下の北朝鮮・興南で何が起こっていたのか? 日本統治下の北朝鮮・興南での原爆計画・進行が、 どういうものだったかは、まだまだ解明されていなくて、 矢野さんの書いた本が中心です。 私も彼と話をして、これが相当重要なものだと分かってきました。 オッペンハイマーの原爆計画をアメリカが一方的にやっていて、 同様の計画が日本にあったとしても、 原料や場所が日本にあったために、それはバレバレだということで 結局着手できなかったということになるわけですが、 北朝鮮・興南でこれだけ行われていたと分かってくると、 やはりこの2つの計画、 アメリカと日本の軍の計画が競争をしていた。 ドイツの原子力計画は、それほど完成に近づいてなかった。 同時に日本に技術を提供することがあったとしても、 非常にアメリカが(ドイツを)警戒していたために、 どうしてもそれを実現するに至らなかった。 しかし日本はそれほど警戒されていなかったために、 朝鮮半島の韓国・北朝鮮を日韓併合で領土にしていた。 今はここを日本の領土だったという印象を誰も持たないために、 ここが日本の隠れた重要な場所だった事を忘れている。 そのことが今において、 「日本で原爆が作られた」をかき消してしまってる。 どう見ても北朝鮮が原爆やミサイル開発してるのは、 日本がやっていた興南という場所が残ったために、 そこから最貧国であるにも関わらず、 核を持っているということになってるわけです。 こういう問題というのは、 色んな意味で隠されてることが多すぎる。 現代メディアがあまりにも偏っているために、 そこに隠されたものがたくさんある。 そこを何とか解明するということで、 この興南にたどり着いたわけです。 この人物は、明らかに時代が生んだ政商と言ってもいいと思う。 彼は「遵」という字を「じゅん」と呼んでほしいとのことで、 通称「じゅん」 この人はほとんど歴史に出てこなかった人物ですが、 この人が原爆をどういうふうに考えていたかが問われるわけです。 大東亜戦争、第二次世界大戦の中で、 この人物を今まで問題にしてこなかった。 日韓併合で日本が支配してたのですが、 実質はこの人物が朝鮮半島を支配していた。 それが今まで(日本で原爆が作られた事が) 知られなかった原因になるわけです。 巨大企業の日窒コンツェルンが、 いつの間にか朝鮮半島にできていた。 そこに原爆を作るという発想も生まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.20 17:28:58
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