The last Christmas
12月24日。シドニーの夜の空を、クリスマス・ナイト・クルーズで飛んでいる、ドアハッチのないヘリコプターの強烈な風の中に雪はいた。
昨日は雪の25回目の誕生日だった。
「Happy birthday!
& Merry Christmas!」
雪は自分でそう叫んだ。異国の夜空に向かって。
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「残念ですが、手遅れでした」
医師の説明は非情で、さらに無情だった。
一週間前に、雪はそのセリフを聞いたのだ。
幸司は末期癌だった。もう三ヶ月も入院している。患部の切除手術の日、開腹したものの、すでに切除不可能な部位に転移が見られそのまま閉じられた。そのときの医師の説明だった。
大学時代に幸司と知り合って、もう三年になる。卒業して25になる前に、雪は幸司と結婚の約束をした。
「雪と幸せになりたい」
その言葉に、黙ってうなずいたのはこの夏のことだった。
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秋になりかけた頃、突然倒れた幸司が癌とわかった。
ショックだった。けれどまだ幸司は若い。雪は、きっと治ると信じたかった。
検査の結果は、骨髄癌。しかも末期だという。
――そんなはずはない。
そう雪は思った。今まで一度だって、そんな予兆すらなかった。去年の夏休みには、二人でひと月も、オーストラリアにいた。
行きたいと言ったのは幸司で、喜んで賛成したのは雪だった。
エアーズロックの茫漠を見て、ワラビーの大きさに驚き、コアラに失望し、ビーチに行っては凍えそうになりながら、冬の8月を満喫したのだ。
なんでわさわざ冬に来てしまったのかと、二人して苦笑いだった。
その間も全く幸司は健康優良児そのものだったのだ。
信じられなかった。雪にはまったく信じられなかった。幸司のそれは遺伝的なもので、本人には何の責任もないのだ。
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今、雪の目の前で痩せ細り眠っている幸司は、きっと何かに呪われたかして、理不尽に命を削られているに違いない。雪にとってその思いは真実だった。
雪は以前から、いわゆる一般的な女性同様に占いの類が好きで、たいして信じている訳でもないのに、よくそういった場所に出掛けた。幸司を連れて怪しげな占いの館にも行った。
――二人の運命はすれ違っている。
そう言われて納得できず、改めて別の占い師を訪ねたこともある。
「運命を変える方法はありませんか?」
そう占い師に尋ねて失笑された時は。
――変わらない。運命とは自然の理ですよ。真夏に雪が降らないようにね。
と言われたものだ。
なるほど、冬。12月の今、自分たちの街にも雪が降っている。
もうすぐクリスマスだ。イルミネーションがこれ見よがしに毒々しいほど煌めき、安っぽいサンタクロースの格好をした、あらゆる店の店員たちが声を張り上げている。
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雪も以前、アルバイトでケーキ売りのサンタガールをしたことがある。そのときは楽しかった。だが、今は鬱陶しいと思うのだ。
病院からの帰路、ホワイトクリスマスが流れるデパートの前を通ったときには、テロリストの気持ちがわかるような、そんな腹立たしさを覚えた。
本当ならば、結婚を約束した相手と、その一瞬の幸せを確かめ合う記念日になるはずだった。
「今度また来よう。二人で、絶対に夏にね」
そう言って笑った幸司と一緒に、一年かけて貯金をした。自然、結婚用の資金としてでもあったけれど、その前にもう一度、二人でオーストラリアに行こう。そう決めていたのだ。
なのに、その矢先に……
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南半球の12月は夏のさなか。サンタクロースはサーフボードに乗って、ビーチからやって来る。
今日だって幸司と二人で、このヘリコプターに乗っているはずだった。
今頃、日本ではジョン・レノンやマライア・キャリーや、ワム!のクリスマスソングが、うんざりするほど街に流れているだろうな。
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ワム! 思わず笑ってしまう。
雪は思う。クリスマスになると、子供のときから耳に入ってきた曲だ。
ラスト・クリスマス
「最後のクリスマス」 ずっとそう思っていた。キチンと英語の歌詞を見るまでは、大学に入っても気づかなかった。
「去年のクリスマスに、僕はハートをあげたのに……」
そんな歌詞だと知るまでは名曲だと思っていた。
それを去年のクリスマスに幸司に話した。
「自分もそうだった」
と幸司も言って、二人で笑って、安いシャンパンを、吹き出したものだった。
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独りでそんな思い出し笑いをして、現在の寂しさを改めて知る。
幸司と幸せになりたい。彼を助けたい。
その願いを叶えるために、彼女は独りでシドニーへ来た。
ヘリコプターが大きく旋回を始めて、機体が傾く。
――そろそろ、いいわね。
雪は思った。
雪は願いを叶える方法をひとつしか知らなかった。
眼下には観光都市の美しい夜景が、クリスマスイルミネーションでさらにデコラティブに輝いていた。
雪は耳を覆っていた防音用のヘッドホンを外し、そっとシートベルトを外した。
真夏のシドニーといえど、上空は日本人には12月らしく感じられるほど寒い。
「Happy birthday! & Merry Christmas!」
もう一度そう大声で夜空に叫んでみる。すると、ちょっと滑稽なアイデアが彼女の頭に浮かんだ。
「The last Christmas.I give my life…… ♪」
そう歌いながら、彼女は空へ踊り出た。
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――運命は変わらない。真夏に雪が降らないようにね。
シドニーのクリスマス・イブ 。
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真夏に雪は、降った……
The last Christmas.
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―fin