テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:砂の魂のふるさと
迎え火の焚き方は、地域によって少し違うらしいよ。 一般的なのは、門口や辻で、折った麻の茎(おがら)に火をつける。 我が家では、常緑樹の犬槇(いぬまき)の割木を組んで、庭先で焚くんだ。 麦藁を焚いて、子供が火を持って焚くのは、関東に多いらしい。 北国では、墓から家までの道に百八本の白樺の皮を竹につけて順に焚くそうだ。 迎え火とは、本来は客人や神霊を迎えるために焚いた火のことだ。 神事や婚礼にも用いられたりするけど、一般にはお盆に祖霊を迎え入るために、 13日の夕刻に焚く野火だ。 迎え火から派生したのが盆提灯で、同じように祖霊が帰る目印としたもの。 また同時に、祖霊が無事に戻って滞在している印ともされるらしい。 これらの風習は、いずれも武家を中心に鎌倉時代頃から行われてきたけど、 一般化して定着したのは、江戸時代の頃からだといわれている。 我が家も、日暮れに迎え火を焚いてお迎えした。 仏壇には、祖父が愛した葉巻とアイリッシュウィスキーを供えたよ。 二人とも、軍服が似合うハイカラでカッコイイ祖父ちゃんだった。(笑) 居間には、父方と母方の両方の祖父ちゃんが好きだったJAZZを流しておいた♪ 今頃、海軍中佐と陸軍少佐が葉巻を燻らせて、昔の"手柄話"でもしてるだろうね。 お盆は、我が家の厨房はことのほか忙しいし、財政が困窮する。(笑) 元々、砂天狗家は六つも分家のある大家族だったけど、太平洋戦争で跡継ぎを失い、 一族の五家が途絶えた。本家だった砂の家は、終戦4日前に長男が戦死したけど、 海軍中佐だった祖父とまだ中学だった父が残ったから途絶えなかった。 途絶えなかった責任は重い。 途絶えた、一族を慰霊してんだ。 一族で、出征した男子は105名、うち生き残ったのは僅かに2名。 戦った戦場はミッドウェイ、シンガポール、満州、天津、仏領インドシナ、インパール、フィリピン、ラバウル、ガダルカナル、グアム、サイパン、アッツ、硫黄島、沖縄(大和乗組み)、神風特別攻撃隊と、太平洋戦争のほぼ殆どの戦場を網羅する。 お盆の間は一日二度、祖父ちゃんと103名の英霊の食事をまかないお世話する。 祖母ちゃんがノートに残した、各自の食事好みも採り入れるから大変だ。(汗) この夏は、関西電力の電力供給もピークを迎えるいだろうけど... 我が家のエンゲル係数も、 こうして八月にピークを迎える。 誰か応援してくれ。(笑) 砂の祖父ちゃんは、日本の戦後復興を見届けて、大阪万博の二年前に生涯を閉じた。 戦後、病に倒れるまでGHQと交渉したり、戦後復興に奔走した、祖父の日記の 最後のページには、こんな言葉が書かれている... 平和を謳歌する人々がいますように。 日の丸の旗の下に、この地で千年後に 自由と平等が根づいていますように。 千年後のこの地にも、日の丸の旗が 翻っていますように。 (元海軍中佐 砂天狗の祖父の日記より) 今日、冥界から我が家に里帰りした砂天狗家の103名の男たちと祖父ちゃんは、 どんな日本を夢見て、どんな想いで戦ったのだろう。そして、今の日本の有様を、 祖父ちゃんたちはどう観てるだろうか... それと、とりあえず気になるのは、孫の俺への評価だな...(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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