テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:砂の魂のふるさと
我が家の前栽(前庭)には、"出撃の椿"と名づけられた椿(つばき)がある。 その椿は、決まって毎年12月の5日から8日頃に咲きはじめる。 海軍中佐だった父方の祖父が、70年前の開戦直前の昭和16年の秋、 出撃を前にして、恥じなく立派に死ねるようにと願って植えた椿だ。 椿は、学名にJaponica(日本)を冠する花だと教えてくれたのは生前の祖父だった。 椿は、山茶花に似てはいるが、散り際の潔さがが違うと言ったのも祖父... はらはらと散る山茶花に対し、椿は花そのものがボトリと落ちる。 武家では、首が落ちるのを連想して嫌ったという逸話と、 逆に、散り際の見事さを讃えたという逸話が残されている。 砂が幼い頃、祖父は痛む脚をさすりながら、傍らに座る孫の砂に、遠い南の海の話や、 近代の洋上戦では航空戦術が勝敗を左右するといつも詳しく語ってくれいた。 祖父はビリヤードとダンスが得意で、アメリカには武官として六年滞在していた。 そして、母方の祖父同様に、英米との戦争には最後まで反対の立場をとっていたが、 皮肉なことに、昭和16年12月8日 真珠湾攻撃で開戦の口火を切ることになった。 多くの戦友を失い、自身もミッドウェイで負傷して無念の帰還を余儀なくされた祖父。 晩年の祖父は、いったいどんな思いで庭を眺めていたのだろう... JAZZとカメラと日本画が趣味で、戦前は自室で好きな野花の絵を描いていた祖父も、 けれども、帰還後は昭和43年に他界するまで、二度と絵筆を握ることはなかった。 砂の遠い記憶の中でも、祖父はひとかどの武人に見え、幼心に理想に思えた。 そんな、祖父が残した恩賜の短剣が、今となっては砂の大切な宝物だ。 明日は、70年目の12月8日を迎えるね... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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