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ないものねだり

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2011.12.18
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カテゴリ:砂の魂のふるさと
(播磨灘の夕陽 砂浮琴撮影)


馬鹿がつぶやく、昔の貧乏話だと思って聞き流して欲しい...
疲れて、ちょっとすさんでるから、こんな話を書くのかも知れないけど。(苦笑)



昔、砂は5才まで母親の顔を知らなかった。
砂が生まれたとき母が病気になって、砂は親戚の家を転々としながら育った。
当時の医療だと、肝萎縮は助かる見込みが低かったから仕方ないことだ。


父親はというと、仕事は長続きしないし、家事も育児もする気がないから、
病床にあった祖父が心配して、生まれて一時間後の砂を、親戚に託した。


祖父の手前もあって、親戚の人たちは大事にはしてくれたけど、
親戚だって、どの家も戦争で働き手が戦死していたから貧窮していた。
幼いながら、自分の居場所じゃないからやっぱり気詰まりだったよ。


砂が、母親の顔をはじめて見たのは5才のとき。
父親は、祖父へのコンプレックスを砂にぶつけ、砂に当たり散らした。
若い頃の父親との思い出といえば、空腹と殴られた記憶しか見当たらない。
母親は、病気をして不自由させた負い目からか、父親の顔色を気にしていた。


「お前が生まれたから母さん病気になったんや! 生まれて来るな! 貧乏神!」


小学3年生まで、砂が週に一度は聞いた父親のセリフだった。
父親の言い放った言葉に、母親も半分は同調していた。
滅多に3度なんて食べられなかったし、いつも空腹だった。


砂を、価値ある存在として接し、庇ってくれたのは軍人だった祖父だった。
祖父は、いつもお腹一杯食べさせてくれた。


病床にありながら我が家を支えた祖父が他界してから、ようやく父親は変わった。
就職してまともに働くようになったし、砂を殴らなくなった。


そんな父親が病気になったのは二十年前のこと。
今の父親は、弱々しく惨めで、醜い痴呆老人だ。
父親を恨む気持ちは、幾ら心から拭い去ろうとしても消えない。


だけど、恨むだけでは何も生まれないとも思った。
両親を看取ることは、この家の末代の当主の務めだと理解している。
ただ、それだけが砂に残された役目だ。


砂も大人だから、今は文句もいわず週に一度は外食に連れてって、
食事や買い物をさせている。


父親はラッキーな男だ。母に見放されず、老いをさらしながら、
それでも見守られている父親は、果報者だと思う。


砂の場合はそう甘くはいかない。
老いても、誰にも寄り添われず、見守られも、看取られもしない...
そもそも、砂は、家族という単位に価値を見出せない。
価値が判らないといった方が正しいかも知れない。


できることなら、自分が死んだ屍は、自分で始末して灰にしたいものだ。
物理的に不可能だけどね。(笑)


誰の人生も、多かれ少なかれ色んな事がある。
恐らく、誰の人生も空腹と苦痛に満ちているもんだと思うしその部分は同じだ。
ただ、人は自分の人生のシチュエーションや体験から自分の考え方に至る。
だから、自分と考えが違うからと、他人を否定できない。


砂の人生訓は、人に意見をしたり人を否定できるほど自分は偉くないということ。
増して、働けなくなったら、砂自身には何の価値もない。
自分の生き方が、かといえば"悪"だ。



一つだけ確かなことがある。
馬鹿で、悪玉の人間が悪玉らしく生きてるのだから、善人とは平行線だ。(笑)
仕事帰りに眺めた、今日の夕陽は綺麗だったよ♪















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Last updated  2011.12.18 23:08:38
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