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2011.12.24
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テーマ:文学・歴史(104)
カテゴリ:歴史よもやま話
(里山の紅葉 砂浮琴撮影)


昨日の続き...


高野山は空海が開いた真言密教の根本道場で、今も一大宗教都市として名高い。
高野山の聖域に至る道は大門口、不動坂口、黒河(くろこ)、龍神口、相ノ浦口、
大滝口、大峰口と七つあって高野七口と呼ばれる。


高野山は、明治5年まで女人禁制だったので、女人堂が建てられていて、
女性は七口から先へ入山することはできなかったそうだ。


和歌山県の高野町神谷は、"日本最後の仇討ち"があったところ。 
日本最後の仇討ちは、高野七口の一つが舞台となる。


峠道の杉木立ちの中に、大きな岩が突き出るよう見えるところがあって、
地元では黒石と呼ばれていた。その黒石の付近が仇討ち現場となったんだ。



「日本最後の仇討ち(後編)」

森家村上家復権は認められたものの、仇討ちは相変らず許されないままだった。
けれども、ある日、藩の者から襲撃犯たちが墓所詰めになっているとの情報を得ると、
村上真輔の遺児ら四人は、四人に助太刀を頼んで支度を整えた。



そして、明治4年2月29日、遂にその時がきた。
村上兄弟は七口の観音堂付近に見張りを立て、鳥居近くの茂みにまずは二人。
離れたところに、商人に変装した二人が歯痛の介抱する振りをしながら待ちかまえ、
残りの手勢は挟み撃ちできるよう、黒石の付近に待ち伏せた。


そこへ、風呂敷包みを背負って、藩の墓所へ向かう仇の一行が歩いて来た。
一行の中には、一人の少年がいた。 



   


一行が鳥居を過ぎ、旅商人姿の二人を通過したその時、変装した二人が鉄砲を放ったが、
弾は強風で反れた。この銃声を合図に、茂みに潜んだ二人が抜刀して飛び出し、
同時に黒石の付近で待っていた三人が手槍を手に一行の前に立ちふさがって、
仇討ちの名乗りを上げた。 


一緒にやって来た少年は、名前を岩吉といい直接の仇ではなく仇の一人の兄弟で、
僧侶になるため、この日たまたま同行して仇討ちに遭遇してしまったんだ。


入り乱れての激しい死闘で、討ち手側にも三名の重傷者が出たけど、
村上家の仇討ちは遂げられ、少年を除く六人の首は、黒石の上に並べられた。


仇討ちを果たし、見事本懐を遂げた村上兄弟は自首をした。
しかし、明治4年7月に廃藩置県の施行によって藩は解体されたため、
村上兄弟のこの行動を従来の仇討ちとして取り扱うことが出来ず、
明治新政府は大いに困惑する。
 




村上兄弟らは起訴されることとなり、翌年に一端は死刑判決を受けたが、
法整備が不備だったこともあって、新政府の裁量で減刑され、兄弟は釈放された。


この仇討ちをきっかけに、国家以外の刑罰執行を認めないという刑法が整備された。
そして、明治6年に太政官発布により公布され、以後、いかなる正当な主張があっても、
個人が行う復讐は殺人とみなされることとなった。



こうして、和歌山の神谷での仇討ちを最後に、仇討ちは法律によって禁止された。



― 完 ―













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Last updated  2011.12.24 00:23:49
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