テーマ:詩&物語の或る風景(1048)
カテゴリ:言霊の宿る国の言語学
28日の土曜の夜、BSプレミアムで井上ひさしの『黙阿彌オペラ』観た。 メッチャよかったっすよ! ほんとに♪ 黙阿彌とは、幕末から明治にかけて実在した、歌舞伎狂言作家の河竹黙阿彌のこと。 黙阿彌は、日本橋の商家の二男坊だったけど、若い頃から読本や芝居の台本、川柳、 狂歌の創作に熱中し過ぎて親から勘当されてしまう。 その後、貸本屋の手代となって働くかたわら、読書三昧の日々を送って、 やがて、狂歌や俳諧で頭角を現すと文筆業に専念し、江戸歌舞伎の作家として大成する。 黙阿彌作品の特長は、"黙阿彌調"と絶賛された七五調の流麗な台詞だ。 類語や掛詞を交えた、まるで歌うような黙阿彌調は、当時の観客を魅了した。 黙阿彌の洗練された作風は、維新後も決して衰えなかったという。 井上ひさしの『黙阿彌オペラ』は、いわば河竹黙阿彌へのリスペクト作だと思う。 激動の時代を面白く生き、幕末から明治にかけて活躍した劇作家 黙阿彌と、 黙阿彌をとりまく不思議な縁で結ばれた人たちの悲喜こもごもの人間ドラマだ。 幕末の師走、狂言作家の河竹新七は、身の上を嘆いて自殺するが死にきれない。 そして、柳橋の蕎麦屋で、自分と同じように不遇を嘆く男たちと出くわす。 すっかり意気投合した五人は、偶然見つけた捨て子を育てるため株仲間をはじめ、 やがて世の中は維新、文明開化へと大きく変化する。 株仲間は国立銀行になって成功を収め、捨て子だったおせんはオペラ歌手に。 新七は創作狂言で大成功したが、人生はそれほど甘くない...(笑)
さて、黙阿彌ついでに「字」は違うけど、"もとのもくあみ"という故事成句がある。 元の木阿弥とは、一度、状態のよくなったものが元に戻ることを表わす。 「阿弥」とつけば、とかく阿弥陀仏とか仏教法話と関係があるとように思いがちだけど、 「もとのもくあみ」の木阿弥は人名で、ある出来事に由来した言葉だ。 江戸時代の宝永年間、閑雲子よって記された軍記物「和州諸将軍伝」によると、 戦国時代、大和郡山の城主 筒井順昭が若くして急死、世継ぎはまだ幼かったため、 下手に情報が漏れれば、混乱に乗じて隣国の領主が攻めて来ないとも限らない。 そこで、順昭と声が似た奈良の木阿弥という盲目の貧乏僧侶を呼んで影武者に仕立てた。 木阿弥は、殿様の影武者として豪勢な暮らしができたけど、イイことはそう続かない... やがて世継ぎも成長して、筒井家は体勢を整え、木阿弥はお払い箱となる。 こうして、木阿弥は奈良に帰され、"元の木阿弥"に戻ったという。(ちょっと切ない) 人生、山あれば谷あり、成功もあれば失敗になくこともあり、振り出しに戻ることだってある。 『黙阿彌オペラ』も、元の木阿弥の故事がなんとなく軸になっている気もした。 河竹黙阿彌には遠く及ばないけど、砂も言の葉を大事にしてシゴトしたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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