テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:だから歴史は面白い...
3世紀頃、日本に存在したとされる邪馬台国には謎が多い。 ちなみに、当時の漢文に記される国(くに)とは、今と少し意味が違っていて、 塀、柵、堀などで囲われた砦の町のことだそうだ。 中国の史書によると、邪馬台国は卑弥呼が治める王国で倭国連合の都だとされ、 女王が治めていたことから魏志倭人伝には倭地女王国とも記されるみたいだ。 邪馬台国が存在した時期は、ちょうど弥生時代の1世紀から3世紀頃。 確かにあったとものの、その所在が、九州だったのか近畿だったのか、 未だ論争が続いている。 元々、邪馬台国は男の王が治めていたそうだ。 けれども、邪馬台国成立の70~80年後に倭国全体で長期内戦が起きた。 "連合"というからには、倭国も英国みたいに紛争が絶えなかっただろう...(笑) 魏志倭人伝によれば、倭国大乱の時期は2世紀後半になる。 その後、卑弥呼という女王を共立することで内線がようやく収まった。 卑弥呼の外交上の正式名称は、親魏倭王卑弥呼というそうだ。 卑弥呼は、魏に使節を派遣して親魏倭王の封号を得ていた。 "倭王卑弥呼"という文字の意味するところは大きい... 要するに、魏の友好国の女王様だと、魏王が正式に裏づけたことになる。 こうして、倭国連合の中で強いリーダーシップを発揮するようになった。 歴史に思いを馳せると、すべての歴史は関連することが判る。 例えば、ある地域紛争の勝者が都合よく歴史を歪曲しようとしても、 勢力が及ばない他の地域まで、歴史の痕跡を消すことはできない。 それも含めて、歴史はとてもミステリアスで面白いね♪ 相変らずPCが絶不調で、どなたかのblogを訪問してコメントの途中でオチる有様。 blog更新も、いつまでできることやら...(泣) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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