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熊谷の6人が殺害された事件で、事件の前の13日午後1時前、 ペルー人が「カネがない 警察を呼べ」と市内で住民に話しかけたという。 連絡を受けた消防の分署が交番へ通報。 「ペルーに帰りたい」と交番でも繰り返し、スペイン語を話すため、 通訳を介する必要があると判断、一度署まで連れて来ていた。 その後、ペルー人は現金とパスポート、携帯の入った荷物を残したまま、 熊谷署から逃げ去った。 通訳を待ち、喫煙場所で煙草を吸っていたところだったという。 警官1人が付き添い、赤信号を強引に渡る姿を見ていたが、 交通量が多かったという理由で追わなかったそうだ。 17日の記者会見で「何の犯罪の容疑もなかったから」と説明したが、 同署幹部は「外国人が物を置いたまま走り去り、信号も守らない」として、 見つけるべき"特異事例"との認識を持っていたと明かした。 そのペルー人が逃走して約1時間半後、市内の二軒の住民から、 「外国人風の男が侵入した」との通報が相次いだ。 その後、事件となり、15日に逮捕状を取った時点でも、 地域へ注意喚起は行われず、住民は不信感を募らせているとか。 だけど、現在の警察は事件が起きないと行動できない。 これが、絶対に正しいという訳ではないが、多くの先進国では、 警官が不審と判断した時点で手錠をかけて、一旦身柄を確保する。 それが先ず安全を守る抑止と定めている。 国内なら、横暴だと報道や人権団体が大騒ぎするだろう。 「おい、そこの貴様!」という戦前戦中の権力剥き出しの時代ではない。 人命、人権、自由が何より優先され、それに依存し、時には責任転嫁してでも、 個人が自由をゴリ押しできる時代。 その後、事件が起きたところで、市民は警察の落ち度を罵る。 この繰り返しが、何も防げない日本社会の欠点に見える。 家庭にも、街中にも、国の周辺にさえ危険は潜むのに自由ボケが蔓延する。 法の不備と執行機関のためらいのために、死ななくてよい人命が失われる。 街中でこんな具合だが、周辺海域ではもっと危険な可能性も潜む。 そんな不都合な事実に、いつまで無関心が通るだろう。 DVで親が乳児を殺したり、児童が犯罪に巻き込まれたり、残酷なイジメがあったり、 元少年Aが平気で出版できたり、島を占拠されたり、領海で外船に密漁されたり、 災害の救援が遅れたり、近海で資源を盗られたりする問題の根源は一つだと。 何か起きるたび、日本人には危機を察知する問題意識と、 未然に防ぐ能力が欠けてると、そんな風に感じてしまう。 地方の街で起きた事件も、外交問題も一事が万事。 かつて日本は大きな選択ミスをして、そのために多大な犠牲を強いられた。 だけど、責任の一端は当時の市民の側にだってある。 国の治安と社会秩序と安全保障を考える上で、民主主義とはどうあるべきか? それは、事態をよく知らないまま賛成反対を口にすることじゃなく、 市民全体が正しく知って、是非を考え、勇気ある決断をすることでしょ。 目指すべきは、誰もが公平な自由を感じられ、弱者が守られ、 この国に住む誰もが法のもとに安全を保障される未来にすることだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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