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カテゴリ:歴史よもやま話
この歌は、藤原道長の豪邸 土御門殿の秋の夜宴で、 道長自身が酒の酔いにまかせて詠んだもので、 嫌味なぐらい栄華を自慢する歌として、今に残る。 寛仁二年十月、道長の三女が、後一条天皇の后となる。 すでにその頃には、長女が一条天皇の后になり、 二女は三条天皇の后となっていた。 娘三人を帝に嫁がせた道長は、それはもう飛ぶ鳥を落とす勢いで、 公家たちは、先を争って道長の邸宅を訪問するようになる。 こうして、御堂関白 藤原道長は絶頂を迎えた。 道長の御堂関白記に、歌の記録はないが、 宴に招待された大納言藤原実資の日記で、 裏事情とともに知られるようになった。 実資の記述によれば、道長は付け届けや贈物に囲まれ、 皆に冗談を飛ばすほど上機嫌だったという。 そんな宴の席で、道長は酔ってあの歌を詠んだ。 実資はこの時、あまりに見事な歌だからと返歌に応じず、 道長の歌を、もう一度、皆で唱和するよう促したという。 実は、実資は道長とは意見対立し批判的な立場だった。 さすがに、この歌には「爺ぃ、いい加減にしろよ!」と、 内心で怒りを覚えたに違いない。 とはいえ、相手は尋常な栄華ではない藤原道長だ。 そこで策士の実資は、”誉め殺し”を思いつき、 小さな意地悪をしたみたいだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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