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2015.09.28
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カテゴリ:歴史よもやま話
DSCN1025.jpg

(2015年9月28日18:30/砂浮琴Photo)

この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることの なしと思へば (藤原道長)

この歌は、藤原道長の豪邸 土御門殿の秋の夜宴で、
道長自身が酒の酔いにまかせて詠んだもので、
嫌味なぐらい栄華を自慢する歌として、今に残る。

DSCN1095.jpg

寛仁二年十月、道長の三女が、後一条天皇の后となる。
すでにその頃には、長女が一条天皇の后になり、
二女は三条天皇の后となっていた。

娘三人を帝に嫁がせた道長は、それはもう飛ぶ鳥を落とす勢いで、
公家たちは、先を争って道長の邸宅を訪問するようになる。
こうして、御堂関白 藤原道長は絶頂を迎えた。

DSCN1111.jpg

道長の御堂関白記に、歌の記録はないが、
宴に招待された大納言藤原実資の日記で、
裏事情とともに知られるようになった。

実資の記述によれば、道長は付け届けや贈物に囲まれ、
皆に冗談を飛ばすほど上機嫌だったという。
DSCN1076.jpg
そんな宴の席で、道長は酔ってあの歌を詠んだ。

DSCN1073.jpg

実資はこの時、あまりに見事な歌だからと返歌に応じず、
道長の歌を、もう一度、皆で唱和するよう促したという。

実は、実資は道長とは意見対立し批判的な立場だった。
さすがに、この歌には「爺ぃ、いい加減にしろよ!」と、
内心で怒りを覚えたに違いない。

とはいえ、相手は尋常な栄華ではない藤原道長だ。
そこで策士の実資は、”誉め殺し”を思いつき、
小さな意地悪をしたみたいだ。










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Last updated  2015.09.28 22:17:29
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