ありがとう。
先日、久しぶりに日記を書きました。サボっていた私に皆さんからたくさんのコメントをいただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。sueさん、サラさん、こととんさん、rkmamaさん、いちすけママさん、tittiさん、のんちゃんさん、hanaさん、とってもとってもうれしかったです。ありがとうございました。みなさんとお話できるのとっても楽しみなんです。それなのにお返事が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。実は私にとってとてもつらくて悲しい事があったのです。私の父が急逝しました。64歳でした。あまりに突然に逝ってしまった父。やっと少しだけ気持ちも落ち着いてきましたので今パソコンに向かっています。また皆さんのところにも遊びに行きたいし、私も日々のことを書いていくつもりでいます。今日は少しだけ・・・(長くなるかな?)父のことを書かせてくださいね。「またブログはじめます。」と書いた直後に私の弟から電話があったのです。「父さんが危険な状態だから今すぐ帰ってきたほうがいい。」と。前日に吐血して救急車で運ばれた父。まだ普通に話も出来ているみたいだし、まさかそこまで悪いとは思っていなかったので、金曜日、息子の学校が終わってから帰ろうと思い準備をしていた時でした。急いで息子の学校に電話をして迎えに行きました。バッグに適当に着替えを詰め込んでタクシーに乗り、新幹線に乗り込みました。新幹線の中で息子に「じいちゃんがもしかしたら死んじゃうかもしれないの。」と説明しながらも私のほうが信じられない気持ち。新幹線の改札を出てもいつも迎えに来てくれている父の姿がなくて・・・。息子も「じいちゃんいないね。」と一言。「また迎えに来てもらえるといいね。」と言いながらタクシーに乗り病院に向かいました。聞いていた病室に向かうといろいろ話をしてはいるものの、もう普通には会話が出来る状態ではなかったのです。私の名前や息子の名前を呼んでくれていたのでそばに帰ってきたことは分かってくれたんだと思いたい。私たちが13日の金曜日の昼過ぎに父のそばに帰ってきてから約24時間後の14日の土曜日の昼頃に父は逝ってしまいました。普段から浴びるほどお酒を飲んでいた父。秋頃から母が父の体をとても心配していました。お正月に帰った時も顔色が悪いし、疲れやすい感じで・・・。でもどれだけ言っても絶対に病院に行ってくれなかったのです。吐血して救急車を呼んだときに母は「あ~これでやっと病院に行ってくれる。」と思ったんだそうです。でももう父の体は限界だったようです。肝臓だけではなく他の内臓も機能しなくなっていて・・・。「酒瓶を持って死ねたら本望や。」なんて言っていた父。本当に前の晩まで飲んでいたから本望なんでしょうか?まじめな父は救急車で運ばれる前日まで仕事にも行っていた。体はかなりつらかったんじゃないのかな。そんなにがんばらなくてもいいのに。残された方はつらいよ。残された母が心配なのですが、近くに住んでいる弟家族がしばらくは一緒に住んでくれるそうです。弟のところには3歳と6ヶ月の2人の孫がいるので母も気がまぎれるだろうな。もう少し実家にいたかったのだけど息子の学校もあるので先週の木曜日に神戸に帰ってきました。こちらに帰ってきてからは日常の生活に戻り忙しさの中で悲しんでばかりもいられないといった感じではあるのですが。本当に息子のことをかわいがってくれていて神戸にも何度もやってきてくれた父ですので神戸にも思い出も多くその度に涙しているのですが・・・。息子は父が亡くなるときも、そして火葬場にも連れて行き父の全てを見せました。どれくらい「死」というものを理解してくれているのか分かりませんが、いつまでもかわいがっていてくれたじいちゃんのことは忘れないでいて欲しいです。私が息子を産んだ時に「こんな素敵なプレゼントをありがとう。」と言ってくれた父。私もいっぱいありがとうを言わないといけないのに結局言えなかったな。これからも変わらずみんな仲良くがんばっていくから見ててくださいね。お父さん、本当にありがとう。