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カテゴリ:趣味
先日ランチに入ったカフェで本を忘れたのでお店にあった本を読んでいた。1冊読み終えて出てきた。
「かーわいーい」 my dear children : 発達障がいの子どもたちと…特別支援学校の日々[ 近藤博仁 ] 正直、特別興味があった本ではないんですが…。読む本が無かったのでというのと、知人の子供が発達障害の子供さんがいるのでちょっと読んでみようと思った。 多分、古本屋にあっても買う事はないだろうな…とう本であったが、なかなか興味深かった。 この子たちが少しづつ成長していく様子、成長を助けるために行った事を日常が目に浮かぶように進んでいく。実際には面白いようなエピソードを主にしただけで1日分の指導にも及ばないのだろう。 この本を読んで思ったのは著者が本当に子供が成長した事を喜んでいると感じた事だ。 私の知人の子供は自分の意思をはっきり言う。「イヤ」というのもみかける。 知人が「この子困るんだよね。人から物をもらっても嫌いなものだと「イヤ!イラナイ!」とはっきり言うから相手のメンツがね…と。いくら発達障害の子供だと見てわかっても大きな声で「イヤ!」と言われれば気分を害する人が大半であろう。ましてその子は一見普通の無口な子に見えるのだ。尚更、誤解を招いたケースが多々あるようだ。 その言葉を思い出す内容が本の最初の方にあったので控えてきた。 >イヤと強烈に言うのは、むしろ自我が弱く、イヤかハイの世界でしか生きていけないからで、中間の「だいたい」で生きる力が十分育っていないからだと思う。 この本によると「イヤ!」と強烈に言うのは自我が弱い???どうもこのあたりがよくわからないのだが…。更にいえば「だいたい」で生きる力が育っていないからと書いている。だいたいという生きる力という点はなるほどと思った。「だいたい」という表現、感情、身の処し方などは確かに生きる力だと思い当たるところはある。しかし、自我が弱いから強烈に「イヤ!」という点についてはどうもピンとこないのだが・・・どういう事なのだろうか。 知人の子供をみて感じたのは「だいたい」という曖昧さという概念が元から備わってないに近いと思っていた。しかし、そのような曖昧さが「育つ」という考えは全く持っていなかったのでこの本を読んで目からうろこであった。 確かに小さい子供を見るとそうだ。小さい頃は「はい」「いいえ」の世界が大半だったのが、そのうちに曖昧さのニュアンスが出て来る。 「イヤ」というのはイコールで「嫌」だとは限らない。大体が伝えれない。「ハイ」「イヤ」の二択の世界になるという事なのだろうか。 後、最後の方で「明日の予定を聞くのが苦手でその時間になると退避する子供」、「親に会うのを楽しみにして帰省するも親を困らせてとんぼ返りしてきた子供」、朝送迎バスから「降りたいのに降りられない」矛盾した行動の子供らの例を挙げて >みんな私達には想像もつかない生きにくさをもって生きている と書いてある。 本当に全くその通りだと思う。 人間誰しも悩みはあるが、本で取り上げた例は生活上の悩みなのだ。好きで告白したいけど恥ずかしいとかそんな話でないのだ。日常生活に支障をきたす話であり、それをコントロールできない。 たかが本を1冊読んでわかった気になれないし、かと言ってもっとこの手を勉強してみようとは正直思わない。しかし読んでよかったと思った1冊である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.23 23:28:24
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