「松本平の神仏 百柱をたてる」-空即是色・千住博-
昨日、見に行ってきました。長野県松本市立美術館の仏像・神仏を一堂に集めた企画展なのですが。・「松本市立美術館」・・・「松本平の神仏 百柱をたてる」-空即是色・千住博-結論から言いますと・・・とてもよかった。私は宗教に特に興味はないし、信じてもいない。だが、とに角これは非常に素晴らしい企画だと思いました。宗教に興味はないけど、神社や仏閣など結構見るの好きなんですよ。仏像も。なので、軽い気持ちで行ったのですが・・・重要文化財、県指定文化財、展示初公開などの貴重な品々。最古の品は飛鳥時代にまで遡る貴重な物。よくぞ集めたな・・・と。また、壁には日本画家の千住博画伯の「滝」の絵が色彩を替え、表示を変え、要所要所に展示してあります。(千住 博HP)恥ずかしながら・・・長野県松本近辺で仏像を保管するのはとても大変な事だと美術館に行って知りました。と言うのは、明治時代、「神仏分離」が発令され、その流れが何時の間にか仏教排斥運動につながり、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの仏像仏具が壊されたとの事。特に松本平は廃仏毀釈が盛んな土地だったようで、残っている仏像は本当貴重らしい。夜中、巨大な像を台車に仏像を積んで山道を何キロも運んだりして必死に守ってきた仏像の数々。胴体の大半が焼けていたり、顔が無い仏像、手を切り落とされている仏像など・・・廃仏毀釈の流れの一端を見た気がします。廃仏毀釈というのは言葉で知っていましたし、そんな時代もあったとは習った記憶がありますが、正直記憶の彼方に追いやられていました。でも、そんな世風の中、必死に像を守りつづけてきた人たち。その人たちは何を思いつつ守ったのだろうか・・・とボンヤリ考えながら一つ一つの像の顔を見ながら歩いていました。神と仏。1本の木から人が祈りを込めて彫り、完成したものを祈りを込めて皆膝まづく。考えてみれば、彫り物なのに滑稽と言えば滑稽な光景である。所詮、木を崇めてきた人たちの歴史を見に行ってるのだから。私はそう思う。冒涜と言われようとなんだろうと、神も仏も実在しないと思ってる私にはそう思ってしまう。「像に祈る=滑稽」と思う部分がある。だが、どうして多くの人たちは祈るのだろうかと考える。所詮木であるとわかっていても・・・どうして仏師は彫り、民は人が彫った物を崇めるのだろうか。多くの人の祈りと願いを抱えて木から彫り物へ、そして彫り物から神仏へと昇格していく物なのだろうか・・・?しかし、どの仏像も個性があった。だが、どこか・・・人間くさいのだ。顔つきが、雰囲気が「人間くさい」のだ。私には数々の神仏が超越的なものではなく「人の念の塊が具現化してる」と見える。来訪者の大半は年配。50代前後から。はっきりいえばかなり年配の人が多かった。私は30代だけどさ・・・会場で2,30代らしき人って一組しか合わなかったヨ。それもカップルだし。なんか知らないけど、会場で手つないで歩いてるし。もう、そのうちに薄暗い会場の隅でなんかおっぱじめるんじゃないかって思う勢いで。で、そんあカップルを横目に見つつね、仏像そっちのけで「デート先が仏像展示会かよ・・・ケッ!」と内心ボロクソに罵っていたり(笑)ただなぁ・・・もったいないですね。どうしてもこのような催しは年配者が多く集まるだろうね。今の2,3,40代は興味ない人多いだろうから。でも、これは興味が有る無しや仏像が好きとか嫌いでなく、全ての人に何らかの見る価値はあるのではないか?と思う。何か人に訴える物があると思うのです。これは、本当趣味とかの範疇でないと思う。もったいないね、あれだけの企画であの程度の人しかいないなんて・・・もったいないと思ったよ。(本当、松本市美術館って土日でも空いてるよね。規模の割に。ま、見る方としてはありがたいけどね)・「松本市立美術館」・・・「松本平の神仏 百柱をたてる」-空即是色・千住博-料 金:大人1000円、高大生・70歳以上の松本市民600円(期間中、もう一度見たい場合は受付にもう一度見たいと申し出ると、次回600円で同じ展示を見れる割引券をもらえます。)主催者:松本市美術館 0263-39-7400