2月2日。
今日は、すでに天国へ行ってしまったスタシの誕生日でした。
新しいお花を活けて、お線香をあげました。
この世にいるあいだ、誕生日にはよく記念写真を撮っていました。
だから今日も撮りました。
けどスタシの写真は、もういつだって同じです。
変わるのはお花の種類と、骨壺のまわりに置いてあるスタシの写真がときどき替えられるだけ。
スタシの霊が写真に現れることもありません。
心霊写真なんて他人が見たら怖いことかもしれませんが、私はきっとうれしくてたまらないと思うのに。
***
スタシがいなくなって、ブルーが来て、1年半を過ぎてようやく悲しみが昇華されてきたように思います。
スタシがいなくなって、胸にぽかっと空いた場所を、やっとブルーが埋めてくれるようになりました。
けど、「悲しみって、心で癒えたと思っても、体が覚えている」と感じたことはありませんか?
当時の日記を読むと、あのころと違って絶望的な悲しみは全くわいてこないのに、なぜか大粒の涙が出る。
自分でも不思議だなと思う。
昨年暮れ、たまたま知人の年配女性と交わしていたメールに、こんなことが書いてありました。
「私の体験からですが、自分ではもう大丈夫だと、しっかり立ち直っているつもりでも、意外と体と心のどこかでは、その傷をかなり長い時間、記憶しているのではないかと、最近思うのです」
どんな人だって、長い人生つらいこと悲しいことがたくさんあるでしょう。
真摯に生きようとすればするほど、その数も増えるでしょう。
だから年を取って涙もろくなったら、「一生懸命生きてきた証」だと自分をほめてあげたいです。
***
スタシの誕生日のこと、きっとだれも知らないだろうな。家族だって気づきもしないだろうな。
スタシの関わった人みんながスタシのことを忘れても、私だけはずっと忘れずにいようと思います。
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