211266 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

金田 政宗

金田 政宗

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

神田佳代子@ 情報提供で、大変申し訳ございません。 情報提供で、大変申し訳ございません。 最…
aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に 国民の…
金田 政宗@ Re[1]:熊本県球磨郡球磨村 『一勝地駅』(01/17) とある行政書士さんへ 当ブログを拝見い…
とある行政書士@ Re:熊本県球磨郡球磨村 『一勝地駅』(01/17) 金田 政宗様 はじめまして。 ブログサー…
福岡県観光連盟です@ Re:福岡県京都郡みやこ町 『蛇渕の滝』(10/19) 素敵なお写真と記事、拝見しました 当連盟…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

英語が聞き取れない… New! みやいっつあんさん

西日本一周の旅編 1… New! にゃーご mark2さん

ピーマン・ナス越冬… New! 線路脇のカメラマンさん

秋葉神社(大門町) New! iwana07さん

コーヒースティック… ハナタチバナさん

2024.01.09
XML
カテゴリ:鹿児島県
薩摩川内市街地の神亀山と呼ばれる小高い山の山頂に鎮座する、ニニギノミコトを御祭神とし、またニニギノミコトの御陵墓である可愛山陵がある神社。

御祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホノニニギノミコト、以下ニニギノミコト)、天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)。開運招福、五穀豊穣、安産守護、交通安全の御利益がある。

天孫ことニニギノミコトは天照皇大御神より地上を治めるよう命を受け、三種の神器と稲穂を持ち、神々と共に高千穂の地に降りられる(天孫降臨)。そこで初めて米を作られた後、笠狭宮(現鹿児島県南さつま市)に移られ、コノハナサクヤヒメと結婚。その後川内の地に来られ、この地に千台(うてな)つまり高殿を建立しお住まいになられた。川内の地名はこの千台からきていると言われている。ニニギノミコトは亡くなられた後に可愛山陵に葬られ、そのニニギノミコトを祀るようになったのが当社の始まりと言われている。元々は社殿がなく、古くは神亀山そのものを神社としていたとも言われ、かつては山の中腹に社殿があったが1173年(承安3年)に焼失。1176年(安元2年)に朝廷の命令により現在の山頂に遷座した。薩摩国の守り神として朝廷から深い信仰を受け、歴代藩主の崇敬も篤く、慶長年間に島津義久公により現在の社殿の元となるものが造られた明治時代以降は皇室から御崇敬を賜り、1920年(大正9年)に昭和天皇が皇太子の時に参拝され、以来皇族の御参拝は9度に及んでいる。

境内にある可愛山陵は前述の通りニニギノミコトの御陵墓と言われており、高屋山上陵、吾平山上陵と共に神代三山稜の一つに数えられている。本殿の後ろに位置しており、御陵墓と神社が一体化しているのは全国的に見ても珍しい。

毎年1月7日に武射祭、3月に早馬祭、9月15日に例祭が行われている。6月に行われる御田植祭では、県指定無形民俗文化財に指定されている奴振踊り、棒踊りが奉納されている。


境内入り口の大鳥居。二の鳥居で、一の鳥居は参道の入り口にある。ちなみに参道は桜の名所として有名で、春になると新田八幡桜まつりが開催されている。


新降来橋。石造りの太鼓橋。渡った先に降来橋が続いており、こちらは市指定文化財に指定されている。


石段。社殿は神亀山の山頂に鎮座しているため、300段続く石段を上っていかなければならない。ただし、石段の途中まで車で行くことも可能。




西門守神社、東門守神社。


最初の石段の右手にあるクスノキの巨樹。参道沿いには他にもクスノキの巨樹が点在している。


最初の石段を上りきったにある境内社。左から順番に、早風神社、中央神社、高良神社。


かつて社殿が鎮座していた場所。1173年(承安3年)にここにあった当時の社殿は焼失し、現在の山頂に遷座。この石は現存する当時社殿の礎石の一部。


がらっぱ大明神。ガラッパとは、薩摩川内市に生息しているとされる河童の一種。このがらっぱ大明神(イザナギ河童・イザナミ河童)は1990年(平成3年)の川内がらっぱ共和国建国式当日に、見せ物として広場に飾られた像がいつの間にかこの地に鎮座したというものらしい。


さらに石段を上っていき、山頂の社殿へ。


石段終わりの左手にあるクスノキの巨樹。








新田神社の大樟。市指定文化財に指定されている。樹高約20m、根回り13.3m、推定樹齢は2000年だが、年輪を計算すると実際の樹齢は650~800年と推定される。根元あたりは空洞化している。地上2mのところに、島津家の家老で関ヶ原の戦いにおいて島津義弘の影武者となり、討死した阿多長寿院盛淳が彫刻した大穴牟遅神(オオナムチノカミ)の木像がある(現在は風化が進み見えにくくなっている)。




子抱き狛犬。その名の通り、子を抱きかかえている2体の狛犬で、古来から安産・子授けに霊験あらたかなものと言われている。


手水舎。




勅使殿。参拝はここで行う。この勅使殿から、舞殿、拝殿、本殿と続く構造になっており、本殿の両脇に武内宮と若宮四所宮があり、それらに回廊が繋がるという配置で、県内唯一の造りとなっている。1173年(承安3年)に中腹の社殿が焼失後、1176年(安元2年)にこの地に遷座され、1602年(慶長7年)に島津義久の命により現社殿のものになる改築がされた。本殿、拝殿、舞殿、勅使殿、摂社は全て県指定文化財に指定されている。


勅使殿の彫刻。鳳凰、鶴・亀の彫刻が見られる。


授与所。


本殿。神仏習合の名残が残り、仏教寺院の建築様式と似ている部分が見られるそう。




可愛山陵前にあるクスノキの巨樹。


可愛山陵。本殿の背後にある、ニニギノミコトこと天津日高彦火瓊瓊杵尊が葬られていると言われる場所。1874年(明治7年)に明治天皇より裁可を得て「邇邇芸尊陵」として指定され、1914年(大正3年)に宮内省(現・宮内庁)直轄となった。1920年(大正9年)に昭和天皇が皇太子の時に参拝され、1962年(昭和37年)には明仁さま(上皇陛下)、美智子さま(上皇后陛下)も参拝されている。もっとも、日本書紀によれば「久にありて天津彦彦火瓊瓊杵尊崩りましぬ。因りて筑紫(九州)の日向の可愛の山陵に葬りまつる。」という記述があり、実際の山稜は宮崎県であるという説も根強く、延岡市には​ニニギノミコト御陵墓参考地​がある。



↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.01.09 22:00:01
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X