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カテゴリ:滋賀県
江戸時代から中世にかけて活躍した、近江商人らの邸宅が並ぶ古い町並み。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
近江八幡の町並みは、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が八幡山城を開き、その城下町として築いたのが始まり。八幡堀を挟んで北が武士の居住地、南が町人の町で、その中で商業地域と職人地域に分かれていた。現在の新町通りはその商業地域にあたる。秀次の楽市楽座の元、近江商人・八幡商人らは活発に商売を行い、1595年(文禄4年)に八幡山城が廃城となり町が幕府領となると、全国に行商の旅に出掛け、八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど大いに活躍した。中でも西川甚五郎、西川庄六、森五郎兵衛は御三家と呼ばれるほどの実力を誇ったという。 新町通りは、これら近江商人・八幡商人の商家が保存されており、白壁の町並みに格子戸や見越しの松など情緒ある風景が連なっている。旧伴家住宅や旧西川家住宅など一部商家は公開されており、自由に見学ができるようになっている(入場料が必要)。 伴伝兵衛宅址。江戸初期から江戸日本橋へ出店した近江商人、伴伝兵衛の本宅があった場所。本宅は取り壊されたが、庭石、土蔵などが一部残されている。 旧伴家住宅(八幡教育会館)。市指定文化財に指定されている。江戸時代初期に日本橋通りに出店を持ち、扇屋の商号で知られた商人、伴庄右衛門の商家。1827年(文政10年)から1840年(天保11年)にかけて建築された、当時としては非常に大きな規模の町家だった。明治時代以降は役場や学校、図書館として地元住民に親しまれ、1998年(平成10年)に復元・整備され現在は一般公開されている。入館料は一般400円、小・中学生250円(団体割引有)。 駐車場から見た旧伴家住宅。よく見ると3階建てなのが分かる。 旧伴家住宅の入り口に展示されている、日牟禮八幡宮の左義長祭で担がれる「ダシ」。その年の干支にちなんだものを小豆やスルメ、昆布などの食べ物を使って製作している。 旧伴家住宅内に展示されている、近江八幡の伝統工芸品や甲冑。 45畳の大広間。かつては作業部屋だったと言われている。天井には赤松でできた約14mにも及ぶ6本の梁が渡っており、この部屋の窓から上の部分を支えている。旧伴家住宅一番の見どころなんだとか。 近江八幡市立資料館の郷土資料館。歴史民俗資料館と隣接している。かつて海外で活躍した近江商人、西村太郎右衛門の邸宅跡に建てられた、旧八幡警察署を利用した資料館。近江商人の歴史の紹介や、民俗・工芸品・文書などが展示されている。入館料は歴史民俗資料館と共通で一般300円、小・中学生150円(団体割引有)。かわらミュージアム、旧西川家住宅との共通券もあり。 近江八幡市立資料館の歴史民俗資料館。八幡商人の豪商、森五郎兵衛の控宅だった建物を資料館として利用している。八幡商人が代々伝えた用具や日常品が展示されている。 新町通りの町並み。白壁、瓦葺きの木造建築で戸は格子戸といった、古き良き近江商人・八幡商人らの商家が一直線の道に連なるようにして建っている。さらに庭からは大きな松の木がこちらを覗くようにして伸びている。まるでここだけ江戸時代にタイムスリップしたかのよう。 森五郎兵衛邸。かつては煙草や麻布を商い、後に呉服や太物などを取り扱い江戸日本橋や大坂にも出店した近江商人、初代森五郎兵衛の邸宅。内部非公開。 西川庄六邸。県指定文化財に指定されている。近江商人である西川利右衛門の息子で、蚊帳・綿・砂糖などを商い江戸日本橋に出店した後、島津藩の指定御用商人にもなった豪商、西川庄六の邸宅。江戸中期の建物で、間口13m、奥行は14.9m。内部非公開。 旧西川家住宅。国の重要文化財に指定されている。江戸時代から昭和まで11代、300年にわたって活躍した近江商人、西川利右衛門の屋敷。1706年(宝永3年)に建築されたもので、瓦葺で一部2階建て、店と居宅の部分で分けられているのが特徴。入館料は一般300円、小・中学生150円(団体割引有)。かわらミュージアム、近江八幡市立資料館との共通券もあり。 旧西川家住宅内部。 庭。飛び石が配してあって、地面には苔が生えている。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.28 01:40:10
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