旦那の決断に至る、1か月ほど前。
旦那実家で法事があったので、旦那とわたしは準備や当日の手伝いで動いた。
法事や墓参りの後には、食事までのつなぎにせがれが落語を披露して喜んでもらい、
義父もご機嫌になって飲んだり食べたりしていたし、親戚たちも帰って、片付けて。
と、滞りなく終わって、ほっとしていた。
用事でわたしとせがれが自宅へ帰ってる間に、旦那から電話がかかってきて、
義父が市役所で、うちの何やら証明書を取ってこいと言ってるぞと。
そんなもの何に使うの?と聞くと。
山を買って、その名義はせがれか旦那にしてやるから、そのために使う書類って。
山!?なんじゃそれーーーーーー
そんなこと今までちらっとも話に出てないのに、意味がわからない。
先祖代々の田畑山林だけでも、すべて活用も管理も出来てないのに、さらに買い増す?
聞くと、知り合いから買ってくれと頼まれたそうで、材木として使えそうな立派な木が
育っていて、今後家を建てるとかにも使えるから、お前らの財産にしてやると。
そんなもんどないするねん。今ある分でも持て余してるのにって断ったけど、聞かんねんと。
とにかく今聞いて、はいわかりました、なんて受けれる話じゃないしと旦那実家へ戻った。
旦那実家は、築年数が3けたというような、古民家。
しかも建築当時のまま、ほとんど手を入れぬままに存在している。
元は立派に建てられた家と言えど、さすがに経年し、いろいろ現在には無理がある。
義姉もリフォームでもいいから使い勝手良くしたらと帰省の度に言っていた。
義母は生前、暖かい家に住みたい。。と漏らしていたらしい。
が、義父には、所有する山で育った木を使って、立派な家を建てる夢があって、
今の家をリフォームするとか、自分が満足行かない家を建てる気は全くなく、
家族になんと言われようと、そのこだわりを頑として譲らなかった。
しかし、突然の不幸で一人暮らし生活になり、寂しいと口癖にしていたのが
気の毒でもあり、周りからも同居するのが人の道とも言われ、それならば、
ちょうどせがれが小学校へあがるまでの1年足らずの期間で、同居できる家を
建てようと提案した。
その時点では親戚の人と、洋風の家でもなんでも、同居するなら、若いもんの
いいようなのを建てたらいいなんて、調子よく話していたのを聞いていたので、
わたしも普通の家を建てていいもんだと思っていたし。
家で法事から葬儀が営めないといけないという、義父のこだわりを取り入れ、
1階に広い二間続きの和室があり、義父の寝室、みんなで使うLDKにトイレ・浴室、
2階にわたしたちの寝室と子供部屋、家相にも配慮した間取りを旦那がハウスメーカーに
相談して作ったものを見せると。
義父は即、こんな家は、あかん!と却下した。
まず、家の中にトイレや浴室があるなんてだめ。
(昔は臭いとか、衛生面やらのことで、外に別棟であるべきものだったのだと思うけど。。)
そもそも、うちの山の木を使わんで建てられんような家は絶対あかんと。
一般的なハウスメーカーや工務店では、工法や保証などのため、
自社の規格にそって加工した材料を使って、家を建てるようになっているので、
材木を施主支給するなんて無理。
一本一本品質のばらつきがある木をうまく使ってくれる技術を持っている大工さん
自体少ないし、職人の技を駆使して、コツコツと長い期間かかって建てるとなると、
どれほど費用がかかることだろうか。
木を切り出し、運搬、乾燥させて、加工して、と木材に加工するまでの費用だって
一体どれほどかかるやら。
なんて話をすると、お前らの甲斐性がないだけや!となぜか怒られてしまった。
家族の思いや一人暮らしの寂しさより、自分の理想がまずありき、なのだ。。
そして、同居は実現せずに話は終わった。
山を買うことにわたしたちが、すんなり賛成しないものだから、
どんどん義父の機嫌が悪くなって、いらんってことは、この家を継ぐ気がないのか!
義姉の名義で買って、全財産もそっちに継がせてやってもええんやぞ!
変に薄笑いさえ浮かべて、罵倒する勢いになってきた。
いい加減にしてほしいと怒りたい気持ちもあったんだけど、旦那がもう怒ってるし、
せがれが目の前にいて、大人げなく言い争うのも嫌だったし、
なんと言っても納得しないだろうと思ったので、とにかく帰って、また旦那と話あって
おきますと言って逃げた。
なぜか最後に、お前の両親にも話しておけ。
誰に言っても、わしが正しい。お前らが非常識なんじゃと締めくくられた。
旦那にしてみれば親で、わたしにしてみれば婚家で、ほっておけないから
気にしたり、来ているだけ。
せっかく一仕事終わってほっとしたところだったに、ねぎらいどころか文句ばっかり。
ただ悲しいというか、情けないというか、やるせないというか。
法事に来もしない義姉や、無関係なうちの親とか、そんな人まで引き合いに
出して何なんだ。。
その頃は、近所の子とせがれとのトラブルが日々続いて悩んでいたころで、
(2009.3あたりの日記にちらほら書いてるけれど)
身内にまで理不尽に辛く当たられ、気分が落ち込んで仕方なかった。
でも、わたしが落ち込むと、せがれも連鎖して暗くなるし、
トラブルの方もどんどんエスカレートして相当な修羅場に発展していった。
そっちの対処に気をとられて、それきり、義父からも音沙汰なしだったので、
わざわざこっちから首を突っ込む話でもないしと、放置状態になってしまった。