繊細さは美徳
「強い女、強い人とは」というテーマで日記を書いていたが、強いことがいいことだとか、強くあるべきだ、と思って書いてきたわけではない。完璧に強ければラクだろうな、とは思うけれど、弱かったら悪いとは思わない。ただ、強いと言われる自分、強いってなんだろう、という思いからだ。強いというのは弱さに鈍感であることではないはずだが、中途半端な強さは弱さを内包しつつ、それに気付かない状態だったり、的外れな共感を外に向けて満足しているだけなのかも、という自省は持っているつもりだが、果たして完璧にできているかと言えばそうではないと思う。ここに来てくださる方というのは、何度か書いているかも知れないが優しい方ばかりである。それにどの方もとても繊細だな、と思う。繊細というと壊れやすいとかいうイメージを抱かれがちだが、そうとは限らないと思う。ピアノ線や針金のような、細くてもしなやかで強い繊細さというもの。感じとるものがたくさんある、という繊細さ。色々な感情がある、という繊細さ。自分には足りないそういう繊細さに触れると、自分はきっと本当には何もわかっていないのだろうと思ったりもする。そして繊細な人ほど、実は誰よりも子供のように無邪気に、無防備なほど人懐っこかったりして、ただ弱いのではないよ、でも大変だろうとは思う。だからそんな繊細さがほんとは一番強くて何より貴いのではないだろうか。