人はなぜ生きるのか?
不出来な天使は神に言われた3つの言葉がわからなかった。「人には何があるのか」「人に何が与えられていないのか」「そして人はなんで生きるのか」トルストイの「人はなぜ生きるのか?」という物語がある。神に背いて罰せられ羽をもぎ取られたた天使は、地上でその言葉の意味を探る。人々のなかで長いこと暮らし、やがてその言葉の意味を知ることになる。「人には愛がある」「人は一年先の備えをしても、その日の夕方まで生きられないことは知らない。つまり、人は自分の肉体にとって何が必要かということを知る力が与えられていない」「人は誰でも自分のことを考えるからではなく、愛によって生きている」人々の暮らしのなかで、天使はそしてこんな答を出しました。「すべての人が生きられるのは、彼らが自分で自分のことを考えるからではなく、人々のなかに愛があるからなのです」「神は人がばらばらに生きるのを望んでいないので、人それぞれが自分だけのために何が必要なのかを知らしめてはいない。人が一緒に生きるのを望んでいるので、自分とすべての人のために何が必要なのかは知らしめた、ということです」自分とすべての人のために、何が必要なのか。現代人は見失っているのかも知れません。そんな気持ちから、この物語を読み直してみました。