アドバイスとよけいなお世話の境界
アドバイスを意識しないただ、自分はこうだよと語る場合はっきりアドバイスと意識してにしてもそれで相手がどう受取るかはそっかって思うこともあればよけいなお世話だとかなんだそれ自慢か?とかいうこちらの思いもしない解釈されることもあるっていうことを(あるいは実は無意識でそれも本音の場合もあり)子どものうちからそういうこともあるトラブルにならないようにいう言わないは考えた方が良い嫌がってるサイン読み取ってそれ感じたら「よけいなお世話だったごめん」で話打ち切りなさい。それが処世術だと教え込む必要あるのかもって。そこができずなんで?私そんなこといってないしとこだわるのはそれこそ言葉どおりしか理解できないできてない。そういうことだと思うのでした。人と話会話って議論じゃないし正しいか正しくないかだけ考えてたら本来の会話、双方になにか有意義をもたらすためにする目的から著しく脱線しても続けちゃうけど,それはよくない。無駄だし、よけいなこととりあえず言わないでおけばあとでまたお互いにいい関係になったり理解しあえたり先の問題を今壊すことはない。なんていえば、よくあるんだけどそれは誤解なんだからとにかく私の話ちゃんと理解してそれが第一目的化して延々こだわる人がいるんだけど理解してで、私になにすれと?って思ってしまうし。。「わかる」理解はきる、でも賛同できない、どうでもいい、興味ないわかったけど傷ついた、だから?其の他。わかると私がどう感じどう思うかは別物なわけで・・・聞いてすんなり気持ちよく心に染みない話はされても嬉しくないし理解たからどうだっていうわけなんでしょうね。と思います。まあでもこれ打ち切ってもらうのにわかったわありがとう(嬉しくないけどとりあえずと内心では思っても)これが処世術上はトラブル避けるのにはいいかもね、ただ人にとってばあいによって「わかった」返事は理解したから実行するって約束って思い込むのでそれでなく、「ごめんね今疲れててどんな話もあたまに入らない」これもいいかもですね・・・うざい相手に気をつかうって、、って思いもするけどこれはでも自分でもよけいお世話いうかもだからお互い様でしょうかね。。。