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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(千葉編)
旧律令国家時代の741年、聖武天皇が各国に建立を命じたのが国分寺です。
(ちなみに東京都国分寺市には、武蔵国の国分寺がありました) 律令時代の千葉県中部は上総国として位置付けられ、親王の直轄領であったため、「上総守」ではなく「上総介」が置かれていました。 (ちなみに織田信長も上総介を名乗っていました) その上総国の国分寺は千葉県市原市にあり、現在は国分寺の跡が残っています。 上総国分寺の西門跡 上総国の国分寺跡を見ると、寺院の跡と言うより、秋田城や多賀城と同じ古代の政庁跡のような印象を受けました。 南北に219m、東西に194mに塀がめぐらされ、面積も約14万平方メートルと全国の国分寺では最大級の規模でした。 南大門・中門・金堂・講堂が南北に並ぶ伽藍配置で、藤原京の大官大寺と同じ伽藍配置だそうです。 当時の建物は残念ながら残っていませんが、それでも当時の伽藍を偲ばせる跡は残っていました。 仏塔の跡 七重塔が建っていたようで、楚石も残っていました。 現在の国分寺を見ると、当時からは規模も小さくなっており、普通のお寺といった感じです。 仁王門 仁王門には、金剛力士像が2体並んでいました。(フェンスで保護されています) 13世紀末から14世紀初めの鎌倉時代後期に造られたものです。 仁王門以外の建築物としては、薬師堂が建っていました。 薬師堂 中世に建てられたものでしょうが、これが新しく見えてしまいます。 境内には「将門塔」と呼ばれる塔が建っており、平将門の墓所だとする伝説がありました。 しかしながら、碑文の日付が合わないため、将門の墓所ではないようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/02 07:14:13 AM
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