|
テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(千葉編)
下総(千葉県)の名門である千葉氏、その跡継ぎの元服式は、代々守護神である千葉神社(妙見本宮)で行われてきました。
千葉氏の本拠地である亥鼻城(千葉城)から妙見本宮まで、さほど距離はないのですが、さすがに千葉氏に元服式ともなると大がかりなものだったようで、わざわざ離れた高品城が元服式の宿所として使われていました。 千葉氏の本拠地が亥鼻城から本佐倉城に移った後も、高品城が元服式の宿所として使われていたようです。 (高品城は佐倉街道の途中にあるので、こっちの方は納得ですが…) その高品城の後は完全に住宅地と変わっており、春日神社の周辺にわずかに遺構が残っていました。 なぜ妙見神社ではなく、春日神社が建っているのかはよくわかりませんが、この春日神社の境内も城郭の一部だったようです。 神社の脇には土塁跡と思われる遺構がありました。 土塁跡?(確信はありません) さらには周囲を探索していると、やはり土塁のようなものが・・・ 盛土と言われればそれまでですが、個人的には100%城の遺構で、土塁だと思います。 高品城の築城時期は明らかではありませんが、安藤氏によって築城されたと言われています。 安藤氏についてはよくわかりませんが、千葉氏とは密接な関係にあり、里見氏に対する拠点として高品城を築城したのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 10:36:01 PM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(千葉編)] カテゴリの最新記事
|