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カテゴリ:城跡と史跡(千葉編)
♪月の沙漠を はるばると♪
有名な曲なのに最初の部分しか知らず、しかも「砂漠」ではなく「沙漠」だそうです。 その「月の沙漠」のモデルとなったのが、外房の御宿海岸です。 月の沙漠をはるばると 旅の駱駝がゆきました 金と銀との鞍置いて 二つならんでゆきました 御宿の国道128号線(外房黒潮ライン)の沿道には何かとラクダが登場し、「月の沙漠」のゆかりの地であることは知っていたのですが、これまでは通過するだけでした。 それでも御宿海岸に立ち寄ってみようと思ったのは、これまでのラクダと共に沿道に並ぶ「伊勢えびまつり」の幟が目に入ったからでした。 「月の沙漠記念館」の前には仮設テントが並び、あの磯の独特の香りが立ち込めていました。 テントの中に入って見ると、夥しい数の伊勢えびが水槽の中でうごめいていました。 その傍らにはバーベキューコンロがあり、水槽の中で動いていた伊勢えびは、30秒と経たないうちにこちらへ来るようになっています。 活きの良さもさることながら、何とも手際が良すぎる気がします。 伊勢えびは「キロいくら」なので、1匹あたりにすると1,600円くらいです。 少し高めの価格設定かとは思いつつも、食べてみるとさすがに磯の香りが残ったプリプリ感がたまりませんでした。 (ちなみに焼き加減は顧客次第です) 元々御宿では海女さんによる漁が行われていたようで、伊勢えびに限らずサザエなどの貝類も水槽に並んでいました。 その海女さんたちは、今から約400年前にも大活躍をしています。 1609年、メキシコのドン・ロドリゴの艦隊が御宿海岸に漂着し、その一行を救助したのが御宿の海女さんたちでした。 ドン・ロドリゴはフィリピンの総督としてメキシコからフィリピンに赴任し、フィリピンからメキシコへ帰る途中で遭難して、御宿に漂着したものです。 ロドリゴのフィリピン赴任中に日本人居住者による反乱があり、それを鎮圧して本国に帰る途中で日本人に助けられるとは、何とも皮肉な話だと思います。 時代は江戸幕府が開かれたばかりで、上総の支配者は里見氏に代って本多忠朝(本多忠勝の次男)でした。 ロドリゴは大多喜城の本多忠朝だけでなく、駿府では徳川家康にも謁見し、その滞滞在記を 「ドン・ロドリゴ日本見聞録」として著しています。 フィリピンでは日本人は敵であったにもかかわらず、さすがは軍人らしいというか、客観的に異国の日本を見ており、大多喜城内の様子や駿府城内の様子など、現在の日本人でも興味深い記録を残してくれています。 ロドリゴの艦隊の漂着では、実に317名もの人が御宿の人たちによって救出されたそうです。 着物や食料を提供し、中には人肌で乗組員を温めたとも聞きます。 御宿の人たちはほぼ全住民にあたる300名が救助にあたったそうで、ほぼ同数の命を救ったことになります。 よく考えてみると、いくら漂流してきたとは言え、当時の日本ではロドリゴ一行は全くの異邦人だったことでしょう。 太平洋のかなたに人が住んでいるとは想像もできないでしょうし、いくら漂着したとは言え、救助にあたっては勇気のいることだと思われます。 さらに考えてみると、外房では黒潮に乗って西洋人が漂着することは、ロドリゴ以前にもしばしばあったのかと思います。 そんなことを考えていると、名前は忘れましたが、やはり御宿の近くにも天狗を祭る神社がありました。 天狗=赤い顔で鼻が高い=西洋人と考えると、御宿海岸にはロドリゴ以前に西洋人が流れ着いていたとも考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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