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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(千葉編)
江戸時代の鋸南町には、安房勝山藩1万2千石が置かれていました。
戦国時代に安房勝山城があった八幡山の、そのすぐ北側山麓に江戸時代の陣屋が置かれていたようです。 安房勝山城から見た「旧陣屋エリア」(きょなんおさんぽマップより) その旧陣屋エリアに降りてみたのですが、江戸時代の藩庁の面影はなく、何となく歩いている感じでした。 ちょうど道端で老婦人がひなたぼっこをしていたので、「江戸時代のこの辺りに陣屋があったそうなのですが…」と声を掛けてみました。 聞けば、まさにこの「勝山港通り商店街」が陣屋前の大通りだったそうです。 そして、現在の美容室のある一角が旧陣屋だったとのことでした。 さらに江戸時代、陣屋前の通りは葬儀の列が通ることを許されておらず、浜の方で葬式がある時は、「仲町」を迂回していたそうです。 そのため、仲町は「弔い町」と呼ばれていたとのこと。 やはり郷土史については、地元のお年寄りに勝るものはないと思います。 強いて難を言うならば、耳が遠いことと、同じ話が何度も出てくることでしょうか。 仲町のお葬式のくだりが3回目に出て来た時、丁重にお礼を述べて立ち去ることにしました。 かつての勝山陣屋の辺りは住宅地に変わっていますが、陣屋のあった裏手には恵比寿山と呼ばれる小高い山があり、古峯神社が祀られていました。 北の大黒山に対し、南は恵比寿山と呼ばれているようです。 恵比寿山は自然の山だと思いますが、山頂付近には洞穴のようなものも見えていました。 江戸時代の陣屋付近だと、物見台や有事の詰め丸にもなりそうです。 旧陣屋時代から続くと思われる井戸 【楽天ブックスならいつでも送料無料】大名の日本地図 [ 中嶋繁雄 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015/01/23 10:37:06 PM
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