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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(奈良・和歌山編)
飛鳥時代の中宮寺は法隆寺から500mほど東に行った場所にあり、現在は「中宮寺跡」として史跡に指定されています。
現在は建物は残っておらず、かつての伽藍の跡には、一面のコスモス畑が広がっていました。 遠景 発掘調査の結果、金堂と塔の基壇の跡が明らかとなり、基壇が復元整備されています。 金堂基壇 基壇上部 中宮寺跡の横を通る県道9号線は、奈良に住んでいる時によく通っていた道路です。 同じ高校・大学の同級生が大和郡山に住んでいて、大和郡山に向かう時は、国道25号線の渋滞を避けるための迂回路として使っていました。 奈良県道9号線 季節を問わずよく見ていた風景なのに、こうやって足を止めてゆっくり散策したのは初めてでした。 中宮寺東側の大和平野 当時はその向こうの曽爾高原から立つ「かぎろひ」が見えたのでしょうか。 ちなみに太陽が昇るあの山並みの向こうには、伊勢神宮があります。 (もしかして高天原?) 中宮寺は聖徳太子の母、「穴穂部間人皇女」の住居を寺院にしたとされています。 また、中宮寺跡の北側には、蘇我入鹿によって滅ぼされた聖徳太子の皇子、山背大兄王の墓と伝えられる「富郷陵墓参考地」があります。 富郷陵墓参考地(宮内庁管轄) 聖徳太子一族が滅ぼされた戦乱は、遠い遠い過去のように思えてきます。 自分にとって「秋の大和路」と言えば、この「斑鳩の里」の風景が真っ先に思い浮かびます。 これまではクルマのフロントガラス越しにしか見て来なかった風景でしたが、足を止めてゆっくり眺めてみると、原点に帰って来たような気がしました。 現在の中宮寺は江戸時代に移されたもので、法隆寺東院伽藍に隣接しています。 現在の中宮寺 有名な国宝の「木造菩薩半迦像」は、本堂に安置されていて、一般にも公開されています。 本堂 ただし、内部の撮影は禁止なので、中宮寺跡の解説版にある画像を撮影しました。 昔の50円切手の図案で知られる像ですが、写真の方に慣れてしまっているせいか、実物を見てもすぐには実感が湧いてきませんでした。 (実は実物を見たのは初めてでした) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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