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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(奈良・和歌山編)
かつて郡山城の本丸には天守が建っており、そのことは発掘調査によって明らかになっています。
しかしながら天守に関する絵図や史料がないため、その構造まではわかっていないようです。 天守台 天守の礎石 天守台から見た城内(本丸追手門の方向) 奈良では石垣の石材が不足していたため、天守台の築造にあたっては墓石や地蔵石などが転用されました。 転用石が使われた天守台 こちら側は比較的新しい石垣技術が見られ、隅石の勾配を見ると、藤堂高虎の普請かと思われます。 その天守台には地蔵石が転用され、今も「さかさ地蔵」として残っていました。 さかさ地蔵 地蔵には大永3年(1523年)癸末7月18日の刻銘があり、少なくともそれよりも後になって石垣に使われたものだと思います。 郡山城が大規模城郭に改修されたのは豊臣秀長の時代で、石材が乏しい中で急ピッチで築城工事が進められたため、「さかさ地蔵」以外にも750基の転用石が見つかっているそうです。 近世城郭としての郡山城は、1579年に大和国守護であった筒井順慶によって築城されました。 築城にあたっては、松永久秀の多聞城の石垣なども転用されたそうです。 そして、天守が建てられたのも筒井順慶の時代で、1583年のことでした。 1585年には豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が入城し、城郭の改修と拡張を行いました。 天守台の「さかさ地蔵」もこの時だと言われています。 関ヶ原の戦い後は水野氏や本多氏といった譜代が城主となりますが、いずれも転封となり、1724年に甲府城から入封して来たのが柳沢吉保でした。 城内の本丸には、柳沢吉保を祀る柳澤神社が鎮座しています。 柳澤神社 「祭神 川越 甲府城主 柳澤美濃守吉保公」とあります。 そして平成29年4月6日の「城の日」に、「続日本100名城」では奈良県で唯一郡山城が選ばれました。 (日本100名城では、高取城が奈良県では唯一の選出です) 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/13 04:54:06 AM
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