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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(奈良・和歌山編)
法隆寺五重塔・法起寺三重塔と共に「斑鳩三塔」を構成するのが法輪寺の三重塔です。
法輪寺南大門 江戸時代の宝暦11年(1761年)に再建された、「新しい」建造物です。 法隆寺・法起寺・法輪寺ともに飛鳥時代の7世紀の創建で、また近接する場所にありながら、法輪寺だけは自然災害という不運な歴史を辿って来ました。 法輪寺三重塔 かつては国宝に指定されていましたが、昭和19年(1944年)に落雷で焼失してしまい、現在の三重塔は昭和50年(1975年)に再建されたものです。 法輪寺三重塔の再建を指揮したのは、かの有名な法隆寺の宮大工棟梁、西岡常一さんでした。 さらには「五重塔」の幸田露伴の次女で、作家の幸田文さんが資金支援の先頭に立ってくれたそうです。 法輪寺の三重塔は創建時の姿で再建され、相輪の「風鐸(風鈴)」も当時のままに風になびいて音を立てています。 この昭和19年の落雷による火災では、仏舎利が奇跡的に救出されるとともに、木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)や木造虚空蔵菩薩立像(国指定重要文化財)などの仏像も、地元の方々によって救出されました。 (太平洋戦争中のことで、男性は出征していたため、ご婦人方の尽力があったそうです) その仏像は、再建された講堂の中に安置されています。 実は法輪寺は江戸時代にも自然災害に遭っており、正保2年(1645年)には台風で当時の三重塔を除く建造物が倒壊してしましました。 現在の金堂は、宝暦11年(1761年)に再建されたものです。 再建とは言え、江戸時代中期の建造物が現存しているので、重文に値すると思います。 それでも奈良においては、江戸時代の建造物を国の重要文化財に指定し始めると、文化財だらけで全く収拾がつかなくなるかも知れません。 (奈良に住んでいる頃、同級生の家が江戸時代創建なんてこともありました) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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