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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(奈良・和歌山編)
奈良の観光地の中で、東大寺の大仏はあまりにも有名かと思いますが、奈良に住んでいる頃は、小学校の遠足でしか行ったことがありませんした。
南大門(国宝) 南大門の左右に立っているのが、有名な運慶・快慶の作による金剛力士像(仁王像)です。 木造金剛力士像(阿形像)(国宝) 木造金剛力士像(吽形像)(国宝) 秋は恒例の「鹿の角切り」が行われる時期です。 南大門を行き交う人たちを横目にして、角を切られた牡鹿が完全にやさぐれていました。 「角切られた。。。」 大仏殿は廻廊で囲まれた中にあり、南大門の先の回廊南側には、正門である「中門」があります。 中門(国宝) インドからの観光客を数多く見かけたのですが、仏像の本場のインドからも大仏を見に来るようです。 廻廊の西側が大仏殿への入口になっており、廻廊内部に入ると正面に大仏殿が見えてきました。 大仏殿(金堂)(国宝) 大仏殿の手前には、創建時から現存する八角灯篭(国宝)があります。 大仏殿は2度の戦火によって焼失し、現在の大仏殿は1691年(元禄4年)に再建されたものです。 第一回目の戦火は、平清盛の命を受けた平重衡による1180年の「南都焼討」でした。 大仏殿は1190年に再建されましたが、戦国時代の1567年には、松永久秀VS三好三人衆・筒井順慶による「東大寺大仏殿の戦い」で再び焼失しています。 (その松永久秀の居城も訪れたので、後日ご紹介します) そもそも東大寺の建立は、聖武天皇による741年の「国分寺建立の詔」によるもので、大和国の国分寺としての位置付けでした。 聖武天皇から「大仏建立の詔」が発せられたのは、国分寺建立の詔の後の743年のことで、大仏が完成したのはさらに約10年後の752年のことです。 銅造盧舎那仏坐像(国宝) 鋳造に使われた銅は、長登銅山(山口・美祢市)で産出されたものです。 廬舎那仏像の左右には、銅造ではなく木造の仏像が置かれていました。 木造如意輪観音坐像(国指定重要文化財) 虚空蔵菩薩坐像(国指定重要文化財) 大仏殿を後にすると、正倉院や二月堂はパスして、転害門の方へと歩いて行きました。 転害門(国宝) 転害門の内側では、鹿が相変わらず普通に草を食べていました。 ずっと当たり前の光景だと思っていましたが、市街地に野生の鹿が暮らしている光景は、奈良市以外ではありえないことでしょう。 ユネスコ世界文化遺産「古都奈良の文化財」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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