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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(奈良・和歌山編)
総石垣の近世城郭に関して言えば、どうしても西高東低の感は否めないかと思います。
大和国については、1560年に松永久秀が信貴山城や多聞城を築城し、近世城郭の先駆けとなりました。 (織田信長が安土城を築いたのは、さらに時代が下って1576年のことです) 関東で総石垣の近世城郭が登場するのは、さらに時代が下った1590年のことで、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めるために築いた石垣山一夜城が最初の総石垣造りでした。 「織豊時代」または「安土桃山時代」とも呼ばれ、文化・芸術だけでなく城郭建築も発展を遂げたこの時代に築かれたのが、奈良県大和郡山市にある郡山城です。 郡山城縄張図 近鉄郡山駅の周辺には「三の丸」の名前を冠した施設がいくつかあり、三の丸の大手口にある門の跡も残っていました。 「頬当門」跡 「柳御門」跡 桝形が残っています。 二の丸虎口「鉄御門」跡 渡櫓の櫓台だと思いますが、石垣には矢穴(石積み石を切断する時のミシン目)が残っていました。 本丸の周囲は内堀で囲まれており、今も水堀が残っていました。 二の丸「陣甫郭」から見た本丸内堀 細長い陣甫郭の先、本丸の大手虎口には追手門が復元されています。 追手向櫓(手前)と多聞櫓(奥)(いずれも復元) 追手門(復元) 豊臣秀長の時代の復元櫓で、白の塗籠ではなく黒の下見板張りに、西日本の近世城郭らしさを感じます。 追手門から本丸へは直線的に入れない縄張になっており、天守のある本丸へ向かうにはUターンして、毘沙門郭を抜けないといけません。 毘沙門郭からみた本丸内堀 今度は本丸内堀を右側に見るようになりましたが、本丸内堀は何となく大阪城に似ている気がします。 ところで一部石垣が崩壊して修復中のような場所がありますが、「白沢橋」と櫓を復元中とのことです。 ボランティアガイドの方によると、この復元には私財が投じられており、旧城主である柳澤氏の家臣の末裔によって、億単位のお金が寄付されたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/11/29 07:19:39 AM
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