母が倒れました
二十二日の朝七時に母より電話が『何事か?』と思ったら膝、腰が痛いので病院に連れて行ってとの事、夫が迎えに行きかかりつけの整形に普段は注射だけなのにレントゲンをお願いして撮ったらしい。年齢なので骨が減っているからだと言われたらしい。今度はブログを更新してた午後三時過ぎに又電話、左の胸に圧迫感があって苦しいと直ぐ実家に『母』は丸まっていた、普段は『救急車』を嫌がるのに私が病院と連絡して搬送方法は救急車が良いと云われてるの聞き『頼んで』と余程辛かったんだと後で知った。循環器の先生の診断でCT,レントゲン。エコー心電図、血液検査とあらゆる検査をしたら入院をして少しずつもう少し詳しい検査の必要があるが病室がないので他の病院へと云われたのでその日は帰宅して次の日に外来に行き昨日の先生に再度診察を受けたら消化器内科に回されてCTに胆管が腫れて石か何かが詰まっていると、やはり他の病院へと云われたが本人が他の病院は嫌がっているので『何とか』とお願いしたが満室で『ダメだと』諦めていたら容態が急変し処置室で点滴を始めたら血液中の酸素濃度が『六十』に下がってしまい大変な状況に先生方三人看護婦さん四人と応急処置をして少し落ち着いたら先生が病室を『確保』したからと云ってくれたので少し安心したが予断は許さない状況で先生付き添いで外来棟から病室棟にストレッチャーで酸素マスク、点滴、モニターを装備して病院の救急車で先生二人、看護士さん二人付き添いで移動し病室に着いたら廊下で待つように云われ『どうぞ』と云われるまでの数分間がとても長く感じた。完全看護なのだが先生より付き添いをする様に指示がありただ事ではないと思い妹、弟に連絡を入れ二十三日は一人で付き添ったが次の日、朝早く妹が新幹線で来てくれたので二十四日は二人で付き添ったが夜、十二時少し前から一時間半置きに発作がおき、おしっこも薬を使用してもあまり出なくなったので先生から説明があり人口呼吸器をつけると言われICUへ。大正生まれの母は弱音を吐かないのに二十四日は苦しい、苦しいとその姿を見て病気の重さとここまで我慢した母の姿に涙が止まらず一人でなく妹と一緒だったので母に悟られずに良かったと思った。感が良い母は先生がそっと私を外に呼ぶのにも何かを感じ取って誤魔化すのに心苦しく娘としてすまない気持ちでいっぱいでした。病名は総官胆官結石、心不全から肺が両方とも水で一杯なので呼吸が苦しく酸素マスクをしてても『窓を開けて新鮮な空気を入れて』と『新鮮な空気を吸うと苦しいのが楽になるから』何度も云ってた母が哀れと可哀想で見てるのが辛かった。今日で四日目のICUでの生活が母を納得させずに私達三人で決めたのが頭がハッキリしてる母には耐え難いらしくチューブをくわえているので口パクで看護士さんに声が出ないと何度も訴えるらしく、治療の為に完全ではなく意識を少し麻酔で麻痺させられている姿が朝、午後の面会時に耐えられないが良くなるためなんだと自分に云い聞かせています。