自分は自分、人は人。
悲惨とか幸せとかは、人が判断することでなく、自分で感じること。
傲慢な書き方になってしまうかもしれませんが、私が今日の公演で改めて感じたことです。
ヴォツェックは上官や医師に虐げられているけど、それが悲惨なことなのかどうかは、本人しかわからない。
マリーだって、上官も医師も。
残された子供も、大変な苦労はするだろうけど、両親を亡くしたことがそのまま不幸とはわからない。
私はいままで、辛いことは色々あったし挫折もあったけど、どうしようもなく苦悶する、乗り越えられないほどの人生ではなかったのかもしれません。
でも悪いことや辛いことは、結構早く忘れてしまう性格だし(笑)。
貧しいか金持ちか、世間的に目立つかひっそりしたいか、さらに幸せか不幸せか、人の生き方価値判断なんて、人それぞれでいいんじゃないかな・・・と感じた公演です。
オテロに続き、舞台に水張ったのは、心情の表現やライティングの妙でとてもいいですね。
子役が壁に『Geld(ドイツ語で「おかね」)』と書きなぐったのセンセーション。
黒服たちが水に膝をつき『Arbeit(ドイツ語で「仕事」、日本語のアルバイトとは違う)』と書かれた看板を首からぶら下げ「仕事求む!」とアピールしていたのも刺激的な演出でした。
《ものがたり》
【第1幕】
〈第一場〉理髪師から兵士になった30歳のヴォツェック(Br)は、上官の大尉(T)の説教を聞きながら彼の髭をそり、モラルに関する問答を繰り返す。
〈第二場〉野原。ヴォツェックは同僚アンドレス(T)と話す中で、錯乱状態の徴候を示す。
〈第三場〉ヴォツェックの妻マリー(S)の部屋。子供をあやす彼女は、隣人マルグレート(Ms)と厭味を言い合う。ヴォツェックが窓を叩く。マリーは夫の様子がおかしいのに気付く。
〈第四場〉医師(B)がヴォツェックを使った実験の具合を確かめる。
〈第五場〉夕暮れ時。マリーと不倫相手の鼓手長(T)が家の中へと消える。
【第2幕】
〈第一場〉マリーの部屋。午前中。彼女は男から貰った耳飾りに見入る。そこにヴォツェックがいきなり現れ、耳飾りを見咎めるが、それ以上は追求せず、給金を妻に渡して立ち去る。マリーは自分を責める。
〈第二場〉大尉と医師が立ち話をする。ヴォツェックが通りがかると、大尉は彼にマリーの不倫を仄めかす。医師も彼の様子を観察する。
〈第三場〉マリーの部屋。ヴォツェックは妻を詰問する。彼女は「それがどうしたの!」とふて腐れるがその場は収まる。ヴォツェックは、「刺されるほうがまだましよ!」という妻の言葉を反芻する。
〈第四場〉料亭の庭。人々が踊る。ヴォツェックは、知的障害者の男(T)から「血の匂いがする」と言われて愕然とする。
〈第五場〉兵舎の衛兵室。休んでいるヴォツェックに酔った鼓手長が絡み、抗う彼を痛めつける。
【第3幕】
〈第一場〉マリーの部屋。夜。彼女は後悔し、聖書を読んで神の救いを求める。
〈第二場〉池のほとり。夕暮れ。帰りたがるマリーの首にヴォツェックはナイフを突き刺す。
〈第三場〉居酒屋。ヴォツェックがマルグレートと踊る。しかし、手の血痕を見つけられ外に飛び出す。
〈第四場〉池のほとり。錯乱状態のヴォツェックは妻の死体にぶつかり、そのまま池の中に入ってゆく。大尉と医師が現れるが、二人ともそ知らぬ顔で行過ぎる。
〈第五場〉マリーの家の前。子供たちが、マリーの子に「君のお母さん、死んだよ」と告げて池へと向かう。マリーの子も皆を追って木馬で走り去る。
指揮 ハルトムート・ヘンヒェン
演出 アンドレアス・クリーゲンブルク
ヴォツェック トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長 エンドリック・ヴォトリッヒ
アンドレス 高野二郎
大尉 フォルカー・フォーゲル
医者 妻屋秀和
第一の徒弟職人 大澤 建
第二の徒弟職人 星野 淳
マリー ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン
マルグレート 山下牧子
新国立劇場合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
平成21年11月23日 新国立劇場オペラハウスにて